2009年01月23日

久しぶりに自閉症の話題。

困った。
たぶん、彼はお仲間なのだ。
理路整然と話をするあたり、アスペちゃんなのだと思う。
賢いし、大人顔負けの子供である。
ただ、被害妄想がある。

何をどういおうと、世界は自分中心に回ってしまっており、すべての悪口は自分に言われていることになってしまうようだ。
その子の評判は聞いていた。
よく晴れた日には、公園で会うこともあるから、顔見知りでもある。端正な顔立ちも、頭のよさも、洞察力の深さも、うまく活用すれば人類の宝だ。
だが……
究極に空気が読めないから、相手が嫌がることを平気で言うし、する。
極端にはしゃぐ気持ちが強くなってしまうから、友達と遊んでいても勢いあまって痛い目にあわせてしまい、楽しい気分を一気にぶち壊しているのだが、その犯人が自分であるとは露ほども思わない。
当然、みんなが怒っている理由がわからない。だから、彼にとってはいつもいつも、自分は悪くないのに責められることになってしまう。
お友達が、おそらく別件で笑っていたのを、自分をからかうなと怒り出した彼は、いきなりその子に手を上げる。
それを周りにいた大人からたしなめられて、
「いつもいつも、僕のせいなんでしょう。何もかも、僕が悪いわけでしょう」
と、公園で叫びだした。
ああ、切ない。
そんな風に言われたら、ただ楽しい気持ちでいたお友達だって切ない。切り口上で叫ばれて、お友達のほうが謝っている。
だが、君のせいだよ。いつもじゃないだろうが、今は君が悪いよ。
もちろん、自分の理想どおりに続くはずの楽しい気持ちを、お友達が邪魔したというのが彼の理屈なんだろうが……それ、言いがかりだから。
私はほんの一瞬しか見ていないが、私が判事ならそうジャッジする。お友達は謝る必要がない。
ちょっと彼に近づいていって
「このお友達は悪くないと思うよ。何があったのか、話してごらんよ」
と言ってみた。

子供たちの喧嘩は、大人がジャッジしないほうがいいと私は思っている。
たいてい話したいだけ事情を話すと、子供たが聞いてもらったことに満足して、その中からどこが悪かったかを導き出せるものだからだ。
だが、つたない言葉で事情を説明しているお友達Aの話をさえぎって、アスペちゃんとおぼしき麗しのハンサムちゃんは、ぜんぜん違う話をしだすのだ。
最初は挨拶すらしなかったのに、話し出すと、今度はその話が止まらない。
それはわかるが、今は友情をかけた大事なとき。トラブルが発生しているのだ。
わかりやすく整理して、強引に主題に戻していくと、
「しょせん、福助ママも、僕のことを悪いと思っている大人に過ぎないんだ。えこひいきだ!」
と、私につばを吐いて、走っていってしまった。
低学年の態度じゃないんだよな。これが、一番困ったところだ。

周りにいる大人たちは寛容で、子供たちも彼を排除することなく、うまく付き合っているだろう。
そういえば、学校内での問題は聞かない。先生のがんばりも母親たちからは評価が高いときく。授業にならない彼を、うまくかまい、うまく放置し、ちゃんと包括して、学級運営も落ち着いている。
けれど、見るからに他動な動きと典型的な症例は、そのうち、彼を孤立させるだろう。
彼の主張はわがままだし、彼だけがそのわがままを通せる特権に納得がいかなくなるだろう。
いろいろな人がいるからこそ、面白いし、相手の個性を認めるからこそ、自分が認められる社会だと子供に教えているが、世界の中心の俺が叫ぶタイプの彼はどう扱えばいいのだろう。
「障害だから仕方ない」のはどこまでか。
「仕方ない部分」とは、どうやって折り合っていけばいいのか。
うちは高機能だが、お仲間ではある。彼が排斥されないために、私に出来ることはないか。

最近、すっかりほこりをかぶっていた本を出してみよう。
そこにヒントがあるといいのだが。

2009年01月23日 15:11