2008年08月20日

ガンバレ!ニッポン

上野! えらい、上野!
途中から見て、ついうっかり目が離せなくなり、女子ソフトボール、延長12回、ついにサヨナラ勝ちするところまで息つめて応援し続けちゃったよ。感涙。
腕組みして涙してテレビ見ている、おばちゃん、何者だろう。飛馬の父?

中学はソフトボール部。私のポジションはキャッチャー。打順は一番。
部活は強化筋トレを男子サッカー部と競ったぐらい、過酷だった。今考えると、ありえない。
100本ノック、エラーすれば校庭一周。今考えると、あってはならない。
毎日のランニングは最低三キロ、暑い日には水が飲みたくて飲みたくて、ランニングの最中転んだフリして泥水を飲もうか迷ったぐらい、過酷な練習だった。世の中に、真夏の水道水以上のうまい飲み物はないと信じていた。
私の手はマメがつぶれていつもタコができていた。自主トレの素振り100回は日課だった。部活が終わって、自主トレをして、口もきけないほど疲れて風呂に入り、ごはんを食べて、寝る。そんな生活を二年弱続けた。
あの灼熱の真夏日の記憶が、30年を経てこんなところでよみがえり、もう胸が痛いほど切ない気持ちがあふれてきちゃって、ソフトボール日本代表を、自分のことのように応援していた。
いっちゃえば、私など、所詮、中学の部活である。
私なんかよりずっとずっと、もっとたくさんの努力があって、強靭な精神力があって、類まれなる才能があって、今、そこに立っている選手達を心の底から尊敬する。選手がバッターボックスで構えるたびに、涙がにじむ。その戦いぶりに触れられたことに、ひたすら「ありがとう!」と言いたい。

今日、小僧のサッカー練習に連れて行くだけで日差しにくらくらして、こんな炎天下でよく走れるもんだと感心していたけれど、走ってた、走ってた、それこそ真っ黒になって足腰立たなくなるまで毎日走っていたんだよなあ、私も。
去年は、お嬢も経験している。
一年限定で女子サッカー部に所属して、夏の合宿でに参加した。解散の声と共に即座に歩き出したものの帰路で黙り込み、玄関で倒れこんで爆睡したほど疲れきった経験は、きっと何かを彼女に残しているだろう。
技術はまるでダメなまま、一得点も挙げず、書割の板人間よりはマシ程度の活躍ぶりで引退したけれど、若いうちの苦労は買っててもしておくものだとは言ったもんだなあと思う。払った犠牲のコスト高かったんじゃないかなあと半ば後悔することはあるけれども、いやいや、買っておいてよかったのだと改めて思う。
今、走りに走っている小僧は、何を得ているのかなあ。
前回の試合の負けから学んだのか、アルゼンチンに刺激を受けたのか、今日の動きはまたいつもとまるで違っていた。
すぐに足が止まるのは相変わらずの欠点、彼の最大の課題だが、体力がない分、飛び出しの速さと一対一の強さをアピールしていた。とにかく、仕掛けが早い。積極的にとりに行く姿勢。トリッキーなドリブル、ゴール前でのフェイント。ワンツーで前に送るパス、練習試合に入っているコーチにボールを預けてサイドを駆け上がりペナルティーエリアぎりぎりからコーチを呼んでチャンスを作る……そのどれもが、見ていてとても面白かった。
彼の動きの一つ一つが、私の喜びだ。苦労を買っているのは、小僧ではない。炎天下でシミも気にせず応援している、私だ。もう若くもないくせに、自ら苦労を喜んで買っているのだから、世話はない。

キリンカップ、そんなわけで見そびれてしまった。
でも、小野より小僧。
今の私には、少年サッカーの小僧の勇姿で、十分幸せだったりする。
オリンピックに出る選手も、出られなくても頑張っている選手も、それがプロでもアマでも、限界まで自分に挑む姿は本当にとても美しい。

私はもう、ずいぶん長いこと、限界に挑んでいないなあ。限界はともかく、挑むことは素敵なことだ。
また、何かに挑みたい。とても、挑みたくなってしまった。

世田谷区のマラソン大会に、一家でエントリーしていたことを思い出した。
よし、それだ。まずはそれ、がんばろう。……って、応援熱、その熱さのあまり、火がついてるし。ははは。加油、加油。


2008年08月20日 23:33