2008年08月07日

長い夏休み

たくさんのありがたいお言葉に感謝します。
昨日東京に戻ってきました。いやー、東京は暑い。
でも、クーラーがある暮らしはちょっと楽かも。
エアポンプで文明の進んだ家に暮らすザリガニも、ばりばり元気でした。

修学旅行から帰ってくるのを待って、すぐに下田に輸送された娘にとっては、ずーっと旅行が続いていたようで、昨日の帰路は車中で眠り続け、なでしこジャパンを応援した後、風呂にはいってまたすぐに眠り、いましがた起きてくるまでいったいどれぐらい眠ったのだろうというほど眠っていました。
王子様のキスなしで目覚められてよかったよ。
でも、呪いにかけられた何かのように、行動がのろいのが不安だわ。

相方の実家は携帯電話が圏外という山の中。
それで滞在中は、全く電話が鳴りませんでした。あたりまえだ。
携帯電話は町場に降りてきたときに一括してチェックするような生活は、不便だけど、すごく正直言って、精神的にはちょっとした癒しでした。昔、海外旅行に一人で出かけるようになった理由が電話から逃れたかったという、そんな時代を思い出しました。
って、葬儀からの忌引きを、バカンス気分で過ごしたら不謹慎極まりないんですけれど。
朝は廊下に面した障子を全開にして、朝日のまぶしさと暑さにじりじり起こされ、鶯が目覚まし代わり。セミは降るように、しぇいしぇいしぇいしぇい鳴き、金メダイが食卓に並ぶと、なんかこう、いやおうなく北京五輪間近、がんばれニッポン!私も洗濯物干し、がんばるぜ!なんて思ったりもしました。
二時間で洗濯物がぱりっと乾く強烈な紫外線。緑深い山の稜線に切り取られた青い空、白い夏雲が鮮やかで、時間帯によって鳴き声の違うセミの声はそれでも常に耳に降り注いで、私は大自然に抱かれて、洗濯物を抱え、しばしボーッとしてしまうのでした。

義父の弔問客が、みんなで「よく頑張ったなあ」と義父を褒めてくれて、涙よりむしろ、笑顔で、その生き方と死に方を讃えている葬儀というのを初めて見ました。そうだ、おじいは五年四ヶ月寝たきり状態に耐えてきたんです。まだちょっと向こうに逝くには若かったけど、その頑張りは、まさしく大往生だったんだなと思いました。
ただひたすら一生懸命働いて、生きぬいたおじいの、おじいらしい最期。長年連れ添った義母にとって、亡くした悲しみはどんな状態でもきっと悲しいはずだけれど、さようならを言う時間をたっぷりとったおじいは、稀代の愛妻家だったのかもしれないなと思いました。

見舞いに行くたびに温泉に入り、おじいのおかげで伊豆の温泉地めぐりをさせてもらって、私たちのこの五年間も多分、すごく充実していました。こんなにこまめに旅行する家族もないだろう、と言うぐらいの回数だものなあ。伊豆限定だけど。
葬儀よりも修学旅行にちゃんと行けと配慮してくれた義母と義姉に感謝しつつ、一緒に過ごした忌引きの一週間。嫁ですが、嫁として期待されることは何一つできないので、下田で飼っている外猫同様、義母か義姉の後ろにくっついて歩くばかりで。猫の手よりはマシ程度でも、十分許してくれる、そういう懐の大きさに触れた一週間でした。
久しぶりにものすごく長い、夏休みらしい夏休みでした。

まだモードが東京に戻らなくて。
下田の鈴木家が恋しいぐらい、気が抜けている。
肩にセミがとまりそうなほど、緊張感のない状態をどうしよう。
さあ、ぬるい日差しに、洗濯物を干そう。
掃除機をかけよう。
ザリガニの水を替えて、子ども達と相方に、ごはんを食べさせよう。
メールの返事を書いて、自分の仕事も推進させて。

2008年夏、生きていく鈴木家。東京在住。


これは、おじいが亡くなる直前に書いたもの。
http://yorosii.exblog.jp/


2008年08月07日 12:12