年若い友達のブログを読む。
セクハラとも思えるような発言を浴びせられて、立腹していた日記をみつけた。
その上司達の、すごい上から目線の発言の下品さはさておき、キャリアを積んでバリバリ働く彼女は、「働く女性は、疎まれるのだろうか」と苦悩していた。
読んだ後、すぐにほとんど同じようなセクハラ発言を甘受してきた若かった頃の自分を思い出した。
華奢で頼りなくて、一人で生きていくことに必死だった、キャリアもない頃。
悔しくて、悲しくて、「今に見てろ、絶対に土下座させてやる!」とSな思いを抱きながら、引きつる笑顔でかわしていた日々。
やがて、実績を積んで、自分の仕事に自信が持てるようになった頃、慣れもあったのかもしれないが、
その手のセクハラ発言がだんだん好きになっていった。
Mに目覚めたわけではなく。
その発言そのものが、相手の敗北宣言に聞こえだしたからだ。
そんな下品な言葉じゃなければ、私に話しかけられもしないのか。
上から目線で話しているが、そういう自分の程度が、下品な発言で貶められていることに気づいているのだろうか。
そう、面と向かって上から目線で話す人は、決まって、自信のないヤツだという法則を見つけてしまってからというもの、そういうことをいってくる者を歓迎するようになっていったのだった。
黒いなあ、腹の中。……ええ、真っ黒なんです。
私の脳内変換機はタフだった。
重なる経験から、上から目線でセクハラ発言して平気な人は、一見、何でも持っていて自信満々のような口をきくが、よくよく聞き込むとたいていがお粗末で、本当に自信を持っている人は腰が意外に低い、とシステムの核に埋め込まれた。
「夢」のない人が語る自信は空自慢になりやすいという法則も、夢のない人は臆病者だから夢を持っている者を怖がっているという法則も、脳内変換機に書き込まれて、私は自分のストレス解消のために、上から目線の人を歓迎するようにすらなったと思う。
それは、私と下品な言葉で関わりたがった下品なオトコたちのおかげで見えたものだった。
本当に持っているべきもの。それは、きっと、夢だ。
夢のない人の自尊心は低い。
夢のない人の引き際は醜い。
夢のない人の踏ん張りは弱い。
錆びついていた脳内変換機が、久しぶりに回転している。
若い友達の苦悩の種で、そんなものをまわしているのも申し訳ないのだが、こういうことがあるから、年の離れた友達は面白い。
久しぶりに回転している頭で、ふと思う。
今の私の夢は何だろう。私は夢を持っているんだろうか。
夢に向かう若い者に対して、どんな感情を抱いているか。
密かに敬愛する身近なかっこいいおばちゃんにたちみたいになる……。本業復帰して、副業も軌道に乗せて……。こどもたちを立派な大人にして……。心の豊かさを追求する……。
あら。足りない。
気がする。
そうか、中年の私には、夢が足りなかったんだ。コンドロイチンも足りないみたいだが。
足りているのは背脂ぐらいで。
その年になって、夢ですか。と、言われそうだが、この年だからこそ、夢なのだ。
夢があれば、たいていの困難は、なんとかなっていくものだから。まずは、更年期の困難を、夢で乗り切りたい。
さあ、何になろう。誰になろう。どんな私になろう。
……しかも、この夢ってヤツは、見るだけならタダなのである。なんか、凄いリーサルウェポンじゃない?!
2008年06月27日 23:15HOME |
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