夫の実家の母が、倒れたという。
こともなげに、母その人が言う。
質問攻めにするとずいぶん深刻そうで、母は笑いながら今は元気だからと話すけれど、私の震えは止まらなくなる。
大丈夫だから。心配するな。
午後からジャガイモを掘りに行くから、ここら辺で電話を切るぞと、切られた。
梅酒を漬けておいてほしいだとか、夏みかんがほしいとか。
おねだりばかりしてきた自分が恥ずかしい。
嫁いで15年、母は、何もして欲しいといわない。
ただ、元気でいればいいとだけ、いう。
ちゃんと家を守れよ。
子どもに飯を腹いっぱい食わせろよ。
どんなときも、母は、いつも自分のことをあとまわしにして、気にするのは子どものことばかりなんだ。
倒れた話だってこっちの様子を聞いて、元気でよかったと何度も何度も言って、もう電話を切るというぎりぎりのところで、さくっと話す。
気がつけば地域で、学校で、断りきれずにいろいろなことを背負ってしまった自分の浅はかさを思う。
今は、そんな状態じゃなかったのではないか。
わかっていたことだ。状況は、よくよくわかっていた。
父の介護だって、姉と母と病院に任せきりにしてきた。母は七月、またがんセンターで検査をする。そうだ、彼女自身、闘病中だったのに!
私が嫁としての働きを 全部免除してもらって、東京で自由に動けるのは、母の頑張りに支えられていてこそなのだった。なのに、私は、大丈夫だという言葉に甘えて、七月も帰らない前提で、予定をびっしり組んでいた。
大丈夫じゃなかったらどうするの!
母に、検査に行ってくれと頼む。
頼みながら、涙が出てきた。
心配させると思うから言わなかったんだから、そんなに心配するな。こっちはこっちでちゃんとやる。それよりお前がしなければならないことをしろ、まずは子どもをしっかりと育てることだ。頼んだぞ。と電話が切れて、はたと自分のことを考えた。
疑惑がある以上、私こそ検査に行かなければならない。母に懇願した、同じ気持ちを、Pは私に抱くはずだった。
死なないでくれ、生きててくれと願う気持ちが、ストレートに自分に返ってきた。
来週も忙しい、などといってはいられない。来週早々、止められる予定から止めて、検査に行くことにする。
誰かを大事に思う気持ちは、同じ立場に返ってくるのだ。
また、母に教えられた。
まったく、うちの母は、電話一本でも、毎回必ず何か教訓を残す。
なんというか、偉大な母である。
母も、私も、何でもないといい。
父が厳しい状況に置かれているらしい。彼が生きているうちに、会いたいと思った。
とにかく忙しがっていないで、予定の抜本的見直しを始めよう。
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