町会の夏祭り、実行委員として名を連ねないかと仲良しのご近所さんから打診がある。
別件で、敬愛してやまない先輩から、子ども達と地域の大人が触れ合う会を正式に立ち上げたいが、委員にならないかと誘われる。
子ども達のための安全を守り、地域活性化を!という高尚な志を持った町の名士が立ち上げた会、名前だけのつもりで入って、気が付くと情熱に感化され、率先して打ち合わせに出ている。
秋には地元の文化祭があり、先日会合に出たら、すでに私のやるべき持ち場が決まっていた……。
うーん。
おばちゃん、きっとそういうのが好きなんだな。
嫌いならきっぱり断るもんな。
きっと、そういうのが大好きなんだよ。子どもの頃も、生徒会やったりしてたもん。
P活だって、また今年は委員長とか、ちゃっかりやってるし。
趣味を問われれば子育てと答えていたが、いよいよ進化したんだろう。
もういいや。趣味、地域活動。何でも、来い!
でも考えようによっては、こんな不器用な私でも、何か役に立つことがあり、年上の方たちからは間抜けも甘受の上、重宝がっていただけるのだから、ありがたい。
誰かの役に立てるってことは、ご迷惑を帳消しにしていただけることのような気がしている。
そして、子どもを育てているということは、多かれ少なかれどんな子どもであれ、絶対に迷惑のかけあいなのだから、子どもも手がかからなくなった今、まあ、できる場所でできることをするのも渡世の義理ってもんだ。
もちつもたれつ。大好きな言葉だ。
ボランティアが大好きになった裏側には、小僧の幼稚園時代の奇跡の仲間達がいる。
毎日毎日、赦してくれた。毎日毎日、力を貸してくれた。毎日毎日、勇気をくれた。
気の遠くなるような時間、私はあのクラスメイト達に支えられてきたのだ。
実にすごい仲間たちだった。
園庭を駆け回るばかりだった小僧を変な目で見た上級生を、優しくさとしてくれた子。
一緒に踊れない小僧を、一生懸命励まして手をとってくれた子。
挨拶で目があわない小僧に、親達が全面的に協力してくれた、ふれあい&挨拶運動。
親が温かく見守ってくれたから、誰一人として友達は小僧を排斥しなかった。
小僧が一緒に踊ったといえばわざわざビデオを貸してくれ、一緒に走ったといえば満面の笑みで拍手してくれ、普通級にもれたといえば私を抱きしめて号泣し……私はこんなに幸せな愛情を注がれていいんだろうかと、いつもクラスメイトのママ達の、底なしの愛情を尊敬した。
あの時、私がいただいたご恩は、絶対に忘れてはならないと思う。
多分、小僧が何のキズもなく生まれていたら、見えなかった。
できないことや、できない人に対して、不平不満ばかり言っていたかもしれない。小僧のような集団生活が営めない子どもに対して、もしかしたら率先して冷たい言葉を吐いたかもしれないのに、そんな私なのに、私に対してそんな仕打ちをした人は、クラスメイトにただの一人もいなかった。ただの一人も。
あのとき、皆が持ち寄ってくれた愛が、小僧をぐんぐん変化させていったのを見て、私ができることは何でもしようと誓ったのだった。
子どもは変わる。周りの環境次第で、本当に大きく変わる。
そんな奇跡を現実に見せつけられれば、今度は私がその環境の一端になろうと思う。
何もできないだろうが、それによってどこかの誰か、近所の子どもが、ほんの少しでも幸せになればいい。ああこんな風にいい加減に生きてるおばちゃんだけど、大人になるって楽しそうじゃん!という、そんな存在意義だけでも希少価値かもしれないし。
こう考えると、さあバリバリ手弁当!という気持ちになってくる。
好きなことなら苦にならない。
もらった愛は、三倍返し。
さあ、復活だ! 私自身が楽しく生きるために、子ども達の笑顔は絶対に不可欠なんだから。
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