(06.10/9の日記に加筆修正したものです)
迷ったときには、まずどこにいるかを確認しよう。
そして、目的地がどこだったかを思いだそう。
深呼吸したら、その目的地にたどり着くための、最大の努力をしよう。
アジアを相方と、ぬる〜く放浪したことはあるが、そこで暮らしたことはない。
一人で出かけた海外は、長くてもせいぜい1ヶ月かそこら。
友達の家だったり、サービスアパートだったり、ホテルだったりしたが、すべて「そこ」に住むための手続きなどは不要だった。
まあ、ふらふらと、バブリーなおねーちゃん(165センチ・53キロ・ナイスバディ)が留学もどきで遊んでいたわけで、ひと皮ふた皮むけて巨体になった今でも、私は海外旅行が大好きです。
海外に行っているとき、私はできるだけ現地人と友達になりたがった。
同じ寿司バーでも、日本人が握る江戸前のいい仕事がしてある寿司より、韓国人が握ったファニー寿司を食べたいし、そこでみそ汁の汁椀を持ち上げて飲んで「行儀が悪い。汁椀は置いて、顔を近づけてスプーンで飲め。まったく、マナーを知らないな」などと叱られてビックリしたのが嬉しかったりするのだ。
異文化コミュニケーションだよね。
どこにいっても中国人と間違えられる団子っ鼻のYukoさんだから、日本人じゃないフリはよくしたものだったが、日の丸をみるとちょっときゅーんとしたりするぐらいには、ホームシックにもなったりもする。
それでも、私はできるだけ同胞を避けて、一人で出かけていき、学校でも英語圏の人とだけしゃべり倒して、そこになじもうとした。身振り手振りの頃から(今も進歩がないけどさ)、臆することなくそうしていて、そうすることが楽しかった。
数々のハンディーがあるから、そのパーティーでは完全な仲間には入れてもらえなくても、そこで暮らすわけではないのだから構わない。
さらに、仲間として誘ってもらえたら、それはそれで嬉しい。
その友情が続く場合もあれば、その場限りもある。それは時の運だから、あまり多くを望まない。
特技が何かひとつあれば、すぐに友達ができることもそのときに覚えた。筆ペンを持参すると、たいていのパーティで人気者になれた。日本の伝統や歴史に興味をもったのもその辺りが遠因だ。
福助の学校生活って、そんな私の海外生活と同じようなものだと思っていた。
自閉の国からやってきたちょっとチャームな王子様は、適当に異文化を楽しみ、ときどき健常のフリしたり、やっぱりアイデンティティを思い知らされたりしながら、馴染めないときもあるけど、基本的に同胞とではなく、異文化を楽しく遊んで学べぶんだと思っていた。
マイノリティーで、ハンディがあって、そこがすべてにはならないスタンスで。
だけど、楽しいから、大好きな場所。
学校が、そんな風なところであればいいなと思っていた。
まあどうしても水が合わなければ、帰ってくればいいんだし、渡航先を変えて仕切り直せばいいんでしょう。ぐらいの気持ちでいた。
逃げ道がないことぐらい、つらいことはないもんね。
覚えるのだって、人が3回なのを10回だったり100回だったりしたんだ、間違えたら、何度でもやり直せばいいんだよ。
家庭と、もうひとつふたつ、居心地のいい自分の好きなことや場所。
そんなのがあれば、充分ハッピーに生きていけるだろう、と思っていたからこそ、私は最初の診断の告知にもそんなに落ち込まなかったんだと思う。
ドクターが言った「おとうさん自由業ですか! 福助君が育つには最高の環境です。もうひとり、アーティストがいると思って、大切に育ててください」という言葉も、ずーっと私を支えてくれた言葉だった。
私も相方も、学校にはそんなに重点を置いていない。
アーティストに学歴は要らないし、勉強はしたいときにすればいつからだって間に合う。
そして学生時代には見えなかった面白い学問が、社会に出てからはたくさん存在していて、学びたいことでこの世は満ち満ちているからだ。
福助に、面白そうな夢中になれることがひとつでもみつかればいいなあと思って育ててきた。
海外(=普通学級)に行って最低困らない程度、できれば楽しめる程度には英語を学んでおけ、とばかりに、療育を始める。海外に行けない諸般の事情があれば仕方ないけど、まずは入国管理局がOKを出す方向で、気軽に旅行を楽しめることを前提に、おかんは時にスパルタで頑張ってきたんだった。
家庭と、もうひとつふたつ、居心地のいい自分の好きなことや場所、と書いた。
それが、通級かもと思ってみたり、すでにサッカーがあるんだからいいんじゃないのと思って、迷ってみたり。
で、考えていく内に、どうしても私にとって、通級が「日本人会」や「日本人街」みたいな存在なのだと気づいた。
もちろん、暮らすならそういうコミュニティーが必要になるのも、仕事でも海外行ってるから、わかっているつもりだ。
定期的に自国語が話せる環境は必要不可欠。マイノリティーが言葉もろくにできないのに、一人で何もかも背負うのは無理だよなあ。偉大なる先人の切り開いてくれた道を行くのが懸命ってもんだと、女一人生きていくなら「日本人村」のよさをきっと再確認することになると思うのだ。
ほら、通級と似ている。
マイノリティーが、そこなら自分の言葉で通じる。それが息抜きになり、同時にそこで、現地での生き方を学ぶあたりも。
しっかり手続きとらないと入れてもらえないところも。
ふらり一見さんでも運が良ければいい人に巡り会えるなんてところも。
学校だけに、「暮らす」のことを考えないといけませんな。
って、大喜利?
福助にとって普通級が、第二の祖国状態になる場所とは思えない以上、何も「日本人会」のような特殊なコミュへの手続きを、渡航前にわざわざする必要が? と、やっぱり思う。
同胞同士でつるむのは、現地の言葉や文化を学ぶには逆に壁になる場合もあるのだ。
困ったときの駆け込み寺として日本人会があるのは実に心強く有り難いが、企業の赴任地として渡航した経験がないものだから、海外に行くなら、そこでやるべき仕事がまっているのではなく、自分に向いていそうな何かへの出会いの場であって欲しいと思ってしまう。
困ったときの通級でいいじゃないか。学校で出来ない仕事があっても「しょうがない、でも、ボクにはサッカーがあるからいいや」で、いいんじゃないか。あるいはサッカー以上の何かがみつかれば、人間関係で多少つまずいたところで、それだけで学校に行った価値がありはしないか。
自閉症と知ってから、学校とはその程度の関係だろうと思ってきた。
平均的に優れた人間を作るラインに乗ったら、福助の個性は輝かない。
普通においしい、って「それってほめ言葉?」にもあったけど、普通においしいだけじゃ食っていけないのが自由業なのだ。
そして、自由業っていうのは、自由業しかできないから自由業をやるんであって、福助は多分、「それしかできない」何かをもった、自由業系の人なのだ。
たいていの自由業者が学校にうまくフィットしなかったように、最初からそこには期待していないから、がっちりシステムに乗っかるのが腑に落ちない。
私ははみ出し者を恥じてはいない。
だから、はみ出し者をはみ出さないようにするつもりもない。
腹の肉ですら、堂々とはみ出させている中年女である。怖いものはない。見苦しかったらごめんなさい。福助が問題をおこせば、菓子折もって謝りに行く覚悟はいつでもできている。
命に別状がない病気なのに、告知されて真っ暗になっちゃうのは、きっと「きっちりふつうにおいしい」人生を送ってきた人だからで、それ以外のサンプルがないから不安になるのだろう。でもさ、自由業には自由業の、気楽さと楽しさがあるからね。
もっと安心していいと思う。
全部会社が請け負った上でタイに赴任したがノイローゼになり自殺した人がいる一方で、ふらふらとタイに自由旅行してそのまま住み着いちゃう人もいる。だから、学校という異国との関わり合いが、人によってまるで違うという前提は踏む必要がある。
ただ、ものは考えようで、前者のようなものごときっちり考えるタイプでも、自分の子どもだけは「特殊能力が備わった、天才かもしれない人」として生を受けてしまった以上、何の因果か、その「人類史上大事なお子を育てる」勇者として選ばれちゃったのだと思えば、こんなに面白い冒険もない。
とてつもなく頼もしいタイ日本人会に特別学級をなぞらえて考えると、ここで支援してもらうのもいいだろう。あるいは、私のように、定番はとりあえず旅行気分で視察、あとはいきあたりばったりもある。後者はなかなかスリリングでおもしろそうだ。
おもしろがって福助を育ててきたんだから、とりあえず学校は「適当」でいいような気がしてきた。
……さすがにそんな結論だけ見たら、それでも親ですか、と言われるかもしれないなと思う。
自信を持って、「それでも親なんです。福助のことを誰よりも愛しています」と答えちゃうんだけどさ。
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