2006年09月26日

情緒学級について

後手に回ったが、あわてて情緒学級について調べた。
電話をかけまくり、ネットを使い、先輩ママや小学校教員の弟まで総動員して。
で、聞けば聞くほど、「いいじゃん、それ!!」な感じ。
本来は、生徒全員に対して必要なところだと思った。
先生が一対一対応して、その子どもの生きにくさを考えてくれるなんて、なんたる特別待遇!!贅沢三昧!! 酒池肉林!!(これはちがう)と思う。
ひとりでも情緒に通級することによって、在籍校全体の特別支援的分野はいきなり明るくなるだろうと思われるところも、実に、私好みである。
よし。オシムが日本サッカーを変えたように、私が今の学校を……。
サラエボから日本に来ることを思えば、車での往復ぐらい何でもないじゃないか。と、道が開けた思いがする。

もともと情緒学級がそんなにもいい場所だと知っていたら、私は多少無理をしてでも、通級を希望していたかもしれない。
人の何倍も努力して、生きて行きにくい世の中を頑張っているからこそ、彼らのような人のために情緒学級がある。そんな発想なら、そこは彼らにとってのオアシスだ。
障害というマイナスの彼らをコントロールして健常に近いゼロに持って行くための訓練施設ではなく、マイナスになってしまった彼らのエネルギーをプラスにチャージするための場所であれ。そうすれば、疲れた人はみんなそこに集まれる。障害の有無を問わずに。
だが、何度となく質問した情緒学級の概要は、結果的に、私の中の偏見を助長する説明ばかりだったのが今更ながら残念でならない。自ら徹底して調べなければ、そんな簡単な情報すらつかまえられないシステムを憎む。
その冷たい隔離を印象づける説明は、いみじくも、教育委員会の本心の吐露のように思われる。
そして、だからこそ私が通級と言われたことに苦悩したのであって、現場の状況と設立の意義をはっきり知らしめれば、むしろ垂涎の施設なのだと誰もが知ることになる。
支援を必要とする子の保護者は、その愛あるまなざしで、どんなにか精神的に救われるだろう。現場でがんばっておられる先生方にとっても、大いなる励ましになろう。

そんなに素敵なところなのだったら是が非にも。
という気持ちの反面、素直に尻尾を振れないのはなぜだ。

私が必死で躾けてきた中型犬、もとい、福助は、今ではどこから見ても立派な普通っぽさを兼ね備えている。よくよく見ると確かに変わった人ではある。サッカーボールを小一時間も蹴り続けて楽しんでいられるのは、素晴らしい社会人になる資質とは言い難い。だが、一応社会適応できるように、一見普通のフリができるように、この三年間、家庭内で猛特訓してきた。
それはオシムサッカーばりに休まず走り続けることであり、考えることであり、へたくそを鍛えることであった。
そうして、身近で見てきたセンターでも園でも通級は不要といい、お預かりで福助と一緒に長時間を過ごすママ友は「いわれなければわからない」と言うまでになり、提示してもらったデータは良好な成長ぶりを示し、そして希望は「通級無し」だった。それなりの成果は出ていたと思う。
そんな中、二時間ばかり、その何を見て、教育委員会が通級を勧めたのかが、どうしてもわからないのだ。やはり、お手軽に「診断名」で通級にしておけと判断したのではないかと疑ってしまうのだ。

彼らの下した結論に納得がいかない限り、それがどんなによい施設であっても、彼らにおめおめと従うわけにはいかない。
私はフェアでありたくて、学校に対して隠し立てしたくないからこそ、生身をさらけ出し、就学相談に臨んだ。
結果に対しても、フェアでなければ、自分の中でつじつまがあわない。
では果たして彼らがどのぐらいフェアに、どのぐらいの責任を持って診断を下したのか。憶測で決めつけるのは愚かだと自省しながらも、やはり、私はどこまでも不信感を募らせてしまうのだ。

どんなに情緒を安定させるように努め、徹底的に勉強して、療育を家庭内で実行しつづけても、「診断名」にかなわないのだとしたら、私の三年間の療育には一体何の意味があったのかとも思う。
普通のフリが出来るぐらいには適応させた上で、だが、福助は自閉症であるという事実を隠すつもりはない。
将来彼がどう思うかわからないので、これは私が保護権をもっている間だけのスタンスだが、それを逆手にとられていつまでも「診断名」だけが一人歩きするのは、好ましくない。
彼は、自閉症の福助、ではなく、彼こそが福助(自閉症)なのだ。
「そうはいっても特殊な人でしょ」
といわれれば、確かに特殊な人であろうが、特別な人と言い換えれば、人は、誰もが特別な人なのである。

そんなサービスを行政に求める方が間違っているのだろうか。
例えば学校はいつでもウェルカムという状態ではなく、お世話になるかもしれない学校を一度も訪ねないまま決定を下さなければならない現状のシステムだって変だ。
システムと闘いだしたらきりがないけれど、何か方法はないものか。

彼らの判断に不服とした場合、私は子どものことを第一に考えない、世間体大事な見栄っ張りな親とレッテルを貼られ、それで終わりだ。
理解されたいなあ。言葉を費やしたら、心が届くだろうか。
このあたりの次元の違いを、語り合える機会が欲しいと思う。

ところで、母ヨシコにも相談してみた。
こういうとき、天国に近い純粋無垢な人の意見は強い。
「治らない病気なんだから、そこに通ったところで、人間関係がすごく得意になるもんでもないでしょ。私だったらその時間を使ってサッカーやらせるわよ。ボール持てば、外人さんとだって友達になれるじゃない、あの子は。一か八かで、サッカーに賭けてみたら? 失うものは何もないんだし。え。自閉症はサッカー選手になれない? そんな決まりがあるの、誰が決めたのそんなこと? 今誰よりもチームメイトとうまくやってるじゃないの、この前の大会だってすごかったわよ。人間関係だのなんだのっていうのは、本人がすごく悩んだ時に、本人が初めて考えればいいことよ。みんな悩んで大きくなるのよ!」
こんなハイリスクハイリターン感覚の、夢見る夢子(脳天気)に育てられたのか、私は。と、ちょっと笑う。
いつもはあまりにも思慮が浅くてイライラさせられることも多い彼女の言葉だが、
ぐるぐる考えすぎる私の心に、なんだかスコーンと入ってきた。
ドラクエでは、防具を考えないで武器ばかり買うタイプの私だ。実は母によく似ているのかも、と思った。

勇者・福助に、防具を着せるのか。武器を充実させるのか。
このクエストの最終目的地はどこなのか。
とりあえず、行けるトコまで行ってみるか。


2006年09月26日 19:30
コメント

既存のシステムを何とか改善したいものです。
「次元の違い」を語り合いたいですね
宜しければMLへご参加下さい

Posted by: 塚田@群馬 : 2006年09月26日 21:33

はじめまして。
10歳のアスペの娘がいます。

子どものことやPTAのこと、なんだか読めば読むほど境遇が似ていて親近感がわいてしまいました。よろしくお願いします。

娘はさしたるトラブルのない、まじめ一本の優等生タイプですが、通級、希望して通わせてます。

親が思う以上に、自閉症の子にとって学校はしんどいです。その能力が追いつかないのに、周囲と協調することを自らに課すタイプの子にはなおさらです。(自閉症の子は生真面目な子が多いですから)

娘は通級を「私のオアシス」と呼んでいます。

通級のこと、思い直されて、よかったですね。
それにしても入学と同時に入級できる自治体があるんですね。
私も希望はしたけれど、まずは通常クラスで様子を見てから、と却下されました。
もうすでにご存知かと思いますが、全国的に通級の需要は増える一方で、望んでもなかなか入れない地域もあります。
教育委員会がどうやって判断したにせよ、福助くんはラッキーでしたね!

今回、受けられて実感されたかもしれませんが、現状の教育相談に、私たちのような子どもが受けるメリットって残念ながらあまりないです。
こちらが判断する材料になるような情報提供は無く、逆に一方的に情報を聞き取られ判定される場でしかありませんから・・・。

そんな短い時間では判断できるわけもなし、過大評価されても過小評価されても困る。当然、長年通っている療育施設や病院や幼稚園の客観的判断のほうが信頼できますよね。

しかも、それだけ提供した情報は、頼まなければ入学する学校に引き継がれないなんて、ちょっと信じられません。(少なくとも我が区ではそうです)
特別支援教育が始まるのだから、この教育相談の整備をぜひしてほしいなあ。
そのために、地道な活動を地道に続けてはいるけれど、道は遠く険しいです。

かく言う私は就学相談を受けずに、直接学校へ話をしに行きました。
希望した学校が、当時通っていた幼稚園と地続きで、校長が園長を兼ねていたので話しがしやすいという恵まれた環境でした。
だけどそんな特別な事情がなくても、学校と直接交渉するのはぜんぜんルール違反じゃないです。
ゆう子さんならきっと校長先生からの信頼が厚いでしょうから、話が早かったかもしれませんね!

福助君の場合は、教育相談を受けた結果良いサービスをゲットしたのですから、うけて正解!でしたね。
後から通級を希望したとしても、どっちみち「判定」をもらいに行かなくてはならないから、思いがけずすませちゃったわけですものね。

ただ念のため、通級へ一度見学に行かれてはどうかと思います。福助君を理解し慈しんでくれる場所かどうか、だれよりも福助君を想うお母さんの目でチェックすればより安心ですものね。
そう、私は慎重派。おせっかいですみません。

Posted by: ターシャ : 2006年09月27日 02:35

>塚田@群馬さん
ありがとうございます。ML、チラ見だけしました。
もう少し余裕が出来たら、たっぷり書き込みも刺せて頂きたいと思います。

>ターシャさん
ご苦労を考えると本当に「我が同志よ!!」と肩を抱きたい気持です。
この後、私は情緒学級に通級している方を否定するようなことを書くことになりましたから、誤解されてしまうのではないかと実のところ不安にも思っています。
オアシスはあるべきだし、それによって助かる人がたくさんいるのは、よいことです。学生時代に相談出来る信頼出来る大人の存在を渇望していた私自身にとってでさえ、必要なものだと確信しました。
けれど、それが万人にとってオープンであるかといえばそうではなく、隔離的な意識について私はシステムを信用出来ずにいます。それはオアシスに憩いを求める人を否定しているのではないことを、どうか、ご理解頂きたいと思います。
ターシャさんの言葉はとても有り難く、神妙に受け止めました。そして、私も迷いながら、頑張ってみたいと思います。お互い、頑張りましょう!!

Posted by: ゆう子 : 2006年10月01日 20:01
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