私のことを私以上に知っている親友が「いつかあの駅に降りたら」を聴いてくれました。
タマちゃんの歌を大絶賛した文章の後、私の詩に関しては、
なんかさぁ…途中で演歌っぽく聞こえてきて……。
いやぁ〜…そうじゃないんだけど…ゆう子と彼の感じって、そういうんじゃないんだけど…
っていうような、違和感が。
私だけかぁ?
とのメールがあり、笑う。
さすが、さの字。それ、私の第一印象と同じ。
ただ、作品として提供するということは、自分の手を離れた段階で(プロデューサーの意向で書き直しも入れるしね)私自身ではないという感覚があって、自分だけど自分じゃない、夢だけど夢じゃない(トトロか?)感じが、何とも面白かったというのがあります。
例えば「ラジオの時間」(三谷幸喜監督作品)では、鈴木京香扮する作家が作り出した登場人物の名前まで変わってしまったわけで、朗読って何か特殊な効果を生むみたいですね。やはり「文字の人」である私は文字を通じて内面を発信していくのでしょうが、あれはそれで、楽しい経験でした。
とりあえず第一陣の波は終わって、初回予約分ははけちゃったみたいなので、ここからどう動くかがいよいよ鍵です。よろしくお願い致します。……って、やっぱりP盤の演歌歌手みたいになってるかしら、私。安手のお着物、似合います。
お着物といえば、昨日は吉祥寺寄席に行って参りまして。
魂の姉妹、海野やよいさんとご一緒しました。
ここにホントは着物でしゃなりしゃなり、駒下駄でカランコロンと行くつもりだったんですね。ところが、予約ができなかった。
満員のため予約はあきらめていたんですが「キャンセルでました」と電話があり、その時まさに七時十五分。ごはんをちょうど食べ終わった瞬間でした。
昨日は日中、ジャージ姿で。いっぱいいっぱいのスケジュールに、そのうち吉祥寺寄席のことなんかも忘れてしまっていたんですがね。しかし、ピンチがチャンスに変わったら、即座に攻めに転じるのがオシムのサッカー。惜しむらくは、着物を着ている時間がないことです。あれ、何か違うお話になってますか。
まず海野ちゃんに電話します、そこからダッシュでジャージ脱いで着替えて、眉毛だけ描いて、走る走る走る。駅ビル・ロンロンなんかはもう、人をなぎ倒しながら走りました。
そして、汗だくの巨大な女ふたりが肩で息を切らせながら駆け込み入場。第一ホテルの教会(ここが寄席の会場)の、最前列に陣取ったというのはこう、喬太郎師匠にとっても言いしれぬ恐怖だったのか、噺は「怪談・牡丹灯籠」でございました。
怪談物は、字面で読んだんじゃ、きっとこんなに怖くない。
途中目をつぶって聴いていると、死霊のお嬢様の声なんかもう、震え上がるほど怖いわけです。目を開けちゃうと教会に金屏風、ひょうきんな師匠のお顔という奇妙な状況に集中してしまうんで、ひたすら目を閉じる。で、拝聴してたらもう……。
笑いに行ったつもりだったので、覚悟がなかった分、正直心持ち冷え込んでしまったけれども、しかしその名人芸にやっぱり聞き惚れました。
うれしいねぇ。耳がうれしい。こういう噺家さんと同じ時代に生きてるってのがもうね、うれしいじゃありませんか。
落語は「聴く」噺。
こういう文化を持っていた日本に、いよいよ感激する四十代なのでございます。
追伸
南京玉すだれもよかったの。弟子入りしたい。
あれ、常に持ち歩いて、スタンガンのかわりに「浦島たろさの魚つり竿」で暴漢を退治したい。うまくいったらお慰み♪
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