2006年09月12日

王様と玉話

あたしは、浅はかだなあ。
世の中にはいろいろな人がいて、いろいろな人がいろいろな形で苦しんでいて、同じ言葉でも気持ちいい人と気持ち悪い人がいる。

例えば、だ。
弱っている心をもっている人には、悪い影も忍び込みがちで、普段ならちゃんと埋めておいた言葉が、ポーンと出てきてしまうことだってあるよね。
「王様の耳は、あ、やべえ。うぷぷぷぷぷ」みたいにさ。
で、私は今まで、そういうのを聞いてしまった段階で、あ、本音発見!!と思ってきた。
本当は、言いふらしたくてたまらないんだろう、お前。心の底から、おしゃべり系キャラクターだ。なんだかんだいって、王様のロバ耳を心底おかしがっているから出ちゃうんだろうな、とか、そんな風に判断していた。
ついうっかり出てくる言葉には本音が隠れていると、フロイトさんの説をそのまま鵜呑みにしていたんだね。「もちろん」を「もろちん」と読んだら、性への興味しんしんだ、みたいな、な。

でも、「金王」と書いてあったら、「きんたま」と読むのを、人は誰も止められないのかもしれない。リビドー、リビドー。

↑それはどうでもいい話なのだが。

口が滑った、そこに本音を見た!! なんて思ってばかりいると、逆に本質が見えなくなるわ。
人って、そんなに単純なものでもない。
理性が勝って、そのロバ耳についてを他言無用と決め、穴掘って埋めた段階で、決して知られてはならない、言いたいわけではない。と、見ることもできるのではないかと、ちょっと思ったのだ。
ロバ耳については検討を重ね、彼なりに答えを出していたのかもしれない。だからこそ、フタをして埋めた。そんな配慮の出来る人を、をおしゃべり系のキャラと言ったら、それは「大和撫子」と書いて「サザエさん」と読み仮名を振るぐらい、大きな間違えだ。

そして、本当に大事なのは、ロバ耳という衝撃の事実を、どうとらえるか。なのではないかとも、思う。
「王様のロバ耳を心底おかしがっているから、思わず出ちゃった」
と言う考えも、私の醜い心の投影に過ぎない。うぷぷぷぷ、と飲み込んだ言葉には、何か別の建設的な提言があったのかもしれない。

童話では、ロバ耳はいずれ漏れてしまうのだが、その辺りは情報管理能力の問題なので、私の興味の範疇ではない。
そのロバ耳という事実を知ったときの衝撃、感じ方、そして身の処し方は、千差万別で、仮に穴を 掘って埋めたとして、その行為一つに隠されている意味と理由にもまた、それぞれの考え方があるのだろうと、思っただけのことなんですが。

江戸時代の貸本、黄表紙には、○で囲んだ善と書かれた善玉と、悪と書かれた悪玉がいて、たいそうわかりやすい縮図があったそうだが、そんな悪玉悪玉した悪玉など、この世にいないのではないかと思う。心の中と腸の中には、善玉と悪玉がいて、それぞれが均衡をとりながら闘っている、というのはなんとなく理解しやすいけれどもね。

腸の善玉は乳酸菌飲料で簡単に増やせるが、心の善玉を増やす方法がわからない。
時々私の心は、悪玉がわしゃわしゃ増加することもある。そんなとき、善玉を増やす方法を知りたい。
金玉を2個以上もてないように、心の善玉悪玉にも、飽和量というのがあるのだろうか。私に金玉はないが、善玉の方は、二個と言わず、たくさん繁殖させてみたい。

「言葉」に傷つくこともある。
しかし、「ロバの耳」事件でいえば、異形を茶化されたことが、秘密がばれてしまったことが、国民が知ることになりその後の展開を憂うことが、それともロバ耳だったという真実が、そのどれが王様を傷つけたのか、私にはわからない。
穴を掘った村人は、どんなキャラであれ、とりあえず王様を傷つけようとはしていない善の人という事実を、忘れてはならない。
言葉は、言葉だけを見ていてはダメなのかもしれない。
言葉を発したその「人」の、その瞬間の心の状態を見なければ。

そんなことはよーくわかっていたつもりで、実はわかっていなかったのね。

……といって、ちくちくちくちく、私にとって痛い言葉を発する人とは、どんなに心に善玉がいっぱい住んでいたとしても、なかなか仲良しにはなれないけどなあ。
人と人が分かり合うのは難しい。それでも、可能性がある限り、あきらめない。
仲良しになれなくてもいいから、善意の人を包容できるだけの、善玉心が欲しい。

2006年09月12日 13:51
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