2006年08月20日

そして二日酔い

春は花見、夏はBBQ、そして誰かの家でホームパーティー。
20代は季節毎にお祭りがあって、そのたびに気がふれたように飲んでいた。
井の頭公園の池に飛び込むのを煽ったり、河原で遊んで帰りには死にそうになってたり、朝日を浴びながらふらふらラーメンを食べに行ったり。
きつい仕事、難しい人間関係、自分の将来に対する不安、抱えているネガティブが全部その瞬間だけ吹き飛んで、翌日は地獄のような二日酔いの儀式と闘い、また日常に戻っていくのだ。
すぐそばには「恋」という厄介事。必ず誰かが笑ってて誰かが泣いてて。
私の場合は、混沌@吉祥寺だ。あの街の雑踏に立つと、血が逆流するような二十代の記憶が簡単に蘇ってくる。

30代は、自分のことだけで忙しい。
人生のメインイベントが続々、気がついたら子ども中心の人間関係になっていた。ママ友達は、等間隔で外側に点在して、決して融合も反発も爆発もない。日常はいつの間にかとても穏やかになっていく。
20代の頃の遊び友達はみんなそれぞれの場所へ。もう大半は行方も知らない。

40代になって、私は生きて行きやすくなった。
体は年々きつくなっても、精神はその分本当に楽になる。出会いや別れはその都度、やはり嬉しかったり悲しかったりするけれども、どんな苦しみも乗り越えられるという自信と、つなげていきたい人間関係はどうすればいいのかその方法も熟知しているから、この経験値が、動じない心を作ったんだと思う。いっぱい泣いて、いっぱい笑ったからこそ得られた勝利だ。

二十代の頃にいっぱい遊んで、数少ない今でも友達の一人が、北海道に帰ることになり、彼女の思い出の地の下北沢で飲んだ。
井の頭線でハグして「またね」と別れた。何年会わなくても、大丈夫。きっと昨日会ったみたいに話ができることは、お互いによく知ってる。出逢った頃の彼女はコケティッシュで、二十年を経てやはり艶っぽかった。常に恋を栄養にしていく彼女が発する微熱は、私には無理だ。結婚という形をとらずに、一生誰かを愛し続けられる彼女だからこそ、どこに行ってもまたパワフルに生きていくだろう。彼女の根幹を育てた大地に戻るのだから、今以上にパワーアップするかもしれない。
あやかりに行こう。カニ、食べにも行こう。

そして昨日は、20代が終わって30代に入ったばかりの友達のBBQに参加させてもらって、それでぼんやり自分の来た道を振り返った。
彼らは、しなやかでまっすぐで、私の二十代の頃ほどバカはしない。むしろ潰れたのは私の方で、この辺りは年齢じゃなく、個性の問題だ。困ったおばちゃんになってたな、ゴメンね。
彼らは、誰もが「恋」をしていて、それは結婚したての嫁に対してであったり、これから結婚する恋人に対してであったり、そのいたわり方が見ていてとても素敵なのだった。恋は事故みたいなものだから年齢は関係ないのだけれど、これから繁殖する人たちの慈しみ合いは、端で見ているとちょっとドキドキする。
いい加減な気持ちでつきあっていられる年ではないから、自分の全部をかけて恋をしている感じが、10代や20代の恋よりずっと重く厚く、「恋」って、周りにいる人を感動させるものなのだと、この年になって初めて教えられた気がする。
結婚なんか形式的なものだから、入籍だとか披露宴なんか、どうでもいい。ただ、心の底からこの人が大事だという、そういう想いを形にするのが結婚だと思うから、私は結婚という最終形が大好きだ。形にできない恋があることも知っているけれど、ワケありにはワケありの「結婚の形。私の結婚の定義は、自分よりも大切な誰かと一緒に暮らすことなんだ。
「一緒になろう」
という言葉。相方のそのときの顔を、私は一生忘れない。そうやって14年が過ぎて、相方は今日、地球を救っている。二日酔いなのに、24時間テレビ「愛は地球を救う」の一週間先行・チャリティーマラソン@烏山で、体を張っている。
呪怨のCMに出てくるようなこけし顔のP子と、福助頭の福助がいて、2006年のある夏。
このあと、北海道vs東京の、甲子園球児が繰り広げる決勝戦が始まり、私はこの涼しい部屋で、掃除をして洗濯物をたたみながら、熱闘を見ようと思う。


2006年08月20日 13:01
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