2006年03月22日

17.渡る世間に

小僧が電車で吐き、相方は立ち往生していた。
こういうとき、普段人に頼ることをしない男親は何をしていいのかわからなくなるらしい。
とっさに車内の吐瀉物を自分の帽子で拭いたらしいが、あとはフリーズ。電話で指示しろと言われたので、すぐに下車し、駅の事務室で休ませてもらうよう、伝える。
吐瀉物の後処理は駅員さんに任せていい。駅員さんにすみません、ありがとうといえば、後はプロの仕事ぶりを発揮してくれるはず。公共の場のみならず、ファミレスなどでも、なまじ素人がごりごり後かたづけするより謝罪の方が絶対にお互い効率がいいのだ。小僧を抱いて動けないほどの大荷物があるなら、駅員さんを呼び、運んでもらって。とも、言う。
それから、別の場所にいた私と娘が駅長室に合流した。
時間が時間だったので、指定された服を買って行くわけにいかず、取り急ぎ駆けつける。
汚れた小僧の服と、相方のコート、ズボンをにおわないように梱包。娘の服を脱がせて小僧に着せる。娘にはそのとき持っていた別のドレスを着せてしまう。私がはいていた黒の綿スパッツを脱ぎ、相方にはかせて、馬の足というか獅子舞の足にする。愛用のフランス軍コートを相方が、インナーをはずして裏返したものを私が、羽織る。相方、どう見ても変態さんのような雰囲気だが、恥ずかしいのは一瞬だけだ、くさくない方がいい。
丁重に御礼を言ってから事務室を後にし、すぐさまタクシーを拾った。

タクシーの中で、相方が「母子家庭だったら、こんな時、大変だよな」という。
「服を買ってきてくれと頼むにしたって、婦人物なんか男性駅員にはわからないだろうし」
うむ、確かに。だが、逞しき母子家庭の母はもうちょっと臨機応変だと思うぞ。
緊急事態にブランド指定する女はいない。紳士物のジャージ上下だっていいわけだ。なんとなれば、バスタオルひとつ借りて子どもを包み、自分はコートの中ハダカだって、あるいはコートがやられていたら駅員の下着のTシャツを無理いって借りたって、着替えはゲット出来るのだ。
あるいは、母子家庭なら、ピンチの時の友達救援隊連絡網も完備しているだろう。困ったときに足になる友達の一人二人は、暫定的母子家庭用に、私ですら持っている。
仕事以外でも連帯して困難をクリアする。そこが、女の智恵と心意気なのである。

乳飲み子を携帯した単独外出の訓練を積めば積むほど、そういう緊急時のノウハウが蓄積されて、母としての経験値が上がっていく。あれは、駅員さんの優しさを理解するトレーニングの場でもあったんだなあ。こんな緊急時にこそ、過去の経験が生きるのだ。特に京王線の駅員さんはみんなとてつもなくいい人達だったから、心強かったことを覚えている。
駅員さんだけでなく、道行く人の意外なまでの親切心に、感動することも多かった。
私は専業主婦だったくせに、娘も息子も首が据わらないうちから外に連れ出していたから、身近な友達はもちろんのこと、見知らぬ人にまで大勢、育児参加して頂いた。そのおかげで、育児ノイローゼになることもなく、健やかに母子共々成長したのだと思う。ありがとうございます>各位。
乳飲み子を抱えると、それで手いっぱいだ。
替えおむつにお尻拭きに哺乳瓶にタオルに着替え。場合によっては、ベビーバギー。米俵を担ぐ女相撲の横綱か? 全部一人で抱え込むのなんか、絶対に無理だ。そこに何らかの攻撃がかかったら、もう身動きはとれない。つまり、赤子連れの母は、やわらか戦車よりも弱い。むしろ、弱者と考えていいと思う。
そんな弱者が外出するわけだから、それだけで、多少なりとも他人様にご迷惑がかかる。なんたって、赤子というのは、泣くわ糞するわミルク吐くわ寝るわ、が、商売なのだ。携帯には不向きこの上なし。
しかし、ご迷惑をかけまいと引きこもる密室育児をしたら、私は多分回遊出来ないマグロ同様、死ぬと思ったので、堂々とご迷惑をかけてきた。
かなり図々しいといえなくもないが、そうやって、弱い自分をさらけ出して人の情けに触れることが多くなればなるほど、その情けの数だけ、強くなれる自分を感じていた。アスファルトに咲く花のように。だって、もらいっぱなしってわけにはいかないさ。恩義は別の形でかえさなきゃ、収支トントンにならないもの。
世の「かあちゃん」という者が、どんどん強くて立派な人になっていくのは、大変な局面で受けた情けを糧にして次は私が返す番という覚悟をもって生きているからかも知れない。それはつまり、常に奉仕において臨戦態勢にあるということで、そんな負荷でトレーニングしているのだ、これで人として成長しないわけがない。

とすると、平穏無事で問題もなく、あるいは誰にもご迷惑をかけないそこそこ立派なお宅のおかあさんほど、経験値が低くて、いざというときに困るんだろうな。
弱い人であることは、案外、重要なのかもしれない。別に母親じゃなくても、例えば病気や、心の傷や、いろいろな理由による自分の弱さを自覚している人は、きっときっと、強くなれるんだ。

世の中、もちつもたれつ。
迷惑をかけないように気を遣って萎縮して生きていくエネルギーは、迷惑をかけちゃった分、長い人生、いつか別の形で奉仕するエネルギーに変えたらいいと思うよ。
多くの男の人のように、人に頼らず全部やろうというのはカッコイイかも知れないが、もっと周りにいる人をアテにしたら、もっともっと楽になる。
渡る世間に鬼はなしって、私の大好きな言葉だな。イヤな事件も多くて、人を信じるなと教えるように指導されるけど、少なくとも41年間、私は鬼に出会ってこなかった。知り合う人、みんないい人だったんだ。だから、与えてもらった分、私なりに、返したいと思う。まだまだ、与えてもらう分の方が多いんだけどね。

2006年03月22日 16:25