2006年03月18日

素晴らしき仲間

感情は、上手く言葉にはできない。
でも、私は幸せな場所にいるんだなと思う。
全部終わって、こんなに素敵な人たちに囲まれて笑って酒を飲んでいる。その自分を俯瞰したとき、私は幸せ者なのだと実感した。

今日は卒業式。その後、幼稚園、年中クラス納めの飲み会だった。
今帰ってきて、しみじみ涙ぐむ。
クラスには、ひどいアレルギーを抱えた子がいる。彼女と「本当にこのクラスは有り難い」と語り合って、飲み会で、共に泣いた。
私たちの子どもは、小さな頃育てるのに困難があった。
離れていく友達も、迫害の目も、たくさん経験して、その中で、今のクラスのママ達に巡り会った。
誰もが、いつも一番弱い所に照準を合わせてくれる。少なくても私たちの耳にイヤな言葉が届いたことは一度もない。ノーマライゼーションなんて世の中ではお題目にしているけど、そんなの知らない子ども達が、自然に変わり者の福助と、ちょっと派手なアレルギーのゆんちゃん(仮名)を、まるで普通に受け入れてくれている。
幼稚園に無事に入れるかどうかすらわからないような状態だった私たちには、それが身にしみる。
ただもう、ありがとうと、同じクラスのひとりひとりに言いたい。
私は、このママ達が大好きだ。一人一人が、大好きだ。
「役員ご苦労様!! 」と言って乾杯してもらえて、本当にお役に立てたならこんなにうれしいことはないと思う。みんな順繰りでやるべき事をただやっただけだ。何か園に対してできることはないかと思ったから、ご奉仕しただけだ。それなのに、こんなに認めてもらえて、本当に嬉しかった。
「ああ、あの人は、役員をやりたくてやってるんだから」
と、別の学年の事情を知らない人に冷ややかに言われたとき、笑って「そうだよ、やりたくてやってるんだ、目立ちたがりなのよ」と言いながらも、どこかで、「会長」をやりたかったわけではなく、福助の借りを返すような気持ちでお引き受けしたんだけどな、と思っていた。
この子のためにできることは何でもやろう。だから、この子を受け入れてください。福助の診断が出たときの決意は、別に喧伝することではないと言いきかせ、別にどう思われたっていいやと思う。
泣いているヒマがあったら、笑いながら行動をおこせ。そしたら、きっと道は開けるのだ。それは私の信念だ。
福助が幼稚園の先生方や、同じクラスのママ友、クラスメイトから受けていた恩は、底知れない。
変な行動も、変な言葉遣いも、クラスの親たちと先生が自然に受け入れるから、クラスメイトは自然、笑い飛ばしてくれるようになり、だから、福助には居場所がある。
居場所がある、という安心感が、福助のような自閉症の子どもには重要なのだ。
『グループ毎に固まる幼稚園ママたち』の話は、雑誌などで当然のように語られている。けれど、うちのクラスは、傷む子どもをみんなで抱えてくれる。親しい友達同士は当然あるが、それぞれのグループで孤立するでもなく、批判し合うわけでもなく、誰が誰と組んでも楽しい。これは、まれに見る賢さを持ち合わせている人たちが集まった結果だ。
そんなクラスに配属された子ども達の強運を、私はゆんちゃんママと語り合って、泣いたのだった。
もちろんバカ話もたくさんして、シモネタも炸裂で、大いに笑いもしたけど、帰宅後思い起こすのは、ああ私にはなんていい場所が与えられているんだろうということだった。本当にママ友一人一人に心から感謝したい。
園には、いい先生達。クラスには、素敵な仲間。
未来がどうなるかはわからないけど、憂うことはない気がする。身近にこんなに素敵な人たちがいるという幸運に、しばらく溺れよう。
来年は、福助も卒業だ。
他人の子どもの卒業式で、御祝いの言葉を述べているうちに涙がこぼれそうになり、腹式呼吸でこらえていたらだんだん演劇かがってしまい、最後にはもうシェイクスピアの大芝居のようになってしまったことに自分で笑いながら、それでも卒業式でやはり涙している私だもの、一年後の今日、もうどうなっちゃうかわかんない。
でも、先はあまり考えないでいこう。
大丈夫だ、福助の強運が、この素晴らしいママ友達を引き当てたのだから、きっとなんだってうまくいく。
福助が、福助の個性でなかったら、不満が多い私は、ママ友達をこんなに愛していなかったかもしれない。全力で役員活動をしようとも思わなかったかもしれない。福助の病気があったからこそ、見えなかったものが見えたのだとすれば、それは本当に有り難い教唆だと、つくづく思った。

2006年03月18日 23:36
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