鎮座ましましている、って、変な語感。
なんか正座しすぎてふくらはぎが麻痺麻痺ている感じがある。恋はマヒマヒ。
それにしちゃ空々しい、「いやあ、まだお見合いで一回あったきりですから」みたいなそぶりのお内裏と御雛である。これが、毎年飾って練れていくうちに、しっくり夫婦くさくなっていくのだろうか。
今、我が家には新品の吉徳大光作のお内裏様とおひな様が鎮座ましましている。
今年、母・ヨシコに買ってもらったのだ。P子と母・ヨシコが二人で浅草橋に出かけて、二人だけで買ってきた。母・ヨシコは自分が気に入らない物にはピタ一文出さない人だから、何も言わずともまあそれなりに上品な物になるだろうと思っていたのがうかつだった。
リビング、そこだけ香港カラー。まあいいか、国際色豊で。
しかし、トシをとると人は派手好みになるのであろうか。
母・ヨシコが趣味で木目込み人形を始めたときに、私のためにと作ったおひな様の地味な、もとい、渋好みの色味ったら!! 天地逆の布目、お内裏様の顔をうっかり階段から落として割ってしまい初日に後家になった縁起の悪い私のおひな様。そんな幾多の困難を示唆するような縁起の悪い人形を、独立するときに真っ先に私に持たせた、母・ヨシコ。普通、「ちょっと待って。これを持ってお行き」と言ったら、「困ったときにはこれを使うんだよ」って、通帳とかをくれるもんだと思ってたから、驚いたよ。
母・ヨシコは、そういう人なのである。
それでも、私に顔がどこか似ていた、母謹製のひな人形を捨てるわけにもいかず、今も、鏡台の隅に置いてある。私の祖母が昭和40年、私の初節句に買ってくれた超豪華七段飾りは、私とは似てもにつかない狐顔のおひな様で、母・ヨシコはその顔がキライだと毎年飾るたびにぼやいていたので、愛着がもてなかった。
そんなものが自分の身代わりとして、毎年、同じく好みではない狐顔の男に嫁いでいく宴シーンを見せつけられるのも虚しかった。むしろ、右大臣に嫁ぎたいと思った。
だから、私はP子の初節句の時にはひな人形不要、と申し出ていたのだ。
もし買ってくれる気があるのなら、P子が自分で選んだことを記憶できるトシになってから、一緒に買いに行って、おばあちゃんとの楽しい思い出とセットでお願い。それならきっとP子もおひな様を大切に思うだろう。それまでは間に合わせで十分だから、と。
今年、P子は10才。1/2成人式だ。それで、いよいよ初節句と相なった。
屏風に桜の花がてんこ盛りに描かれている絢爛はどうなのよと思う私。
サッカーボールが蹴れなくなって、単純に、煮え煮えの福助。
全く関心がない、相方。
ううーむ、やっぱり私も出かけていくべきだったなあ。もうふたまわり小さいとよかった、それにしてもこの色味はないよなあ、など、なるほど30〜40年前の母・ヨシコはこんな気持ちだったのねとちょっと理解する。しかし、これはP子が選んだ、P子自身のおひな様なのだ、私は一切、口出すべきではない。
飾り終えて、わかったことがひとつある。
この「ひな飾り」って、親が覚悟するための儀式でもあったんだ。
ああこうやって、この子はいつかお嫁に行くんだなあ。って、毎年毎年、覚悟を固めていくための。
娘達は晴れ着で浮かれて、結婚を夢見るようにもなるだろう。
ずっとべったりくっついていたい母子の気持ちを、人形を飾り、祭りにすることで、距離を作っていく効果もあったのだとしたら、なかなか秀逸な行事だったのかもしれない。
「こんな風に、アナタもお嫁に行くのかなあ。寂しいなあ」
と、P子に言った。
「いかなくて、ずーっと毎年飾り続ける方が、寂しいんじゃない?」
と、P子に言われた。生意気な、初節句の主役である。
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