2006年02月27日

重荷・主に・オモニより、共に・友に。

遠慮なんかしない。
自分が重たい荷物を背負っている時、みんなでシェアしたら前に進めるもの。
お願いできそうな人にはお願いする。
そして、私が見込んだ人は、たいていとても力持ちなんだ。みんな、快く、引き受けてくれた。

うちの小僧には障害がある。
高機能・自閉症。
重荷と呼ぶには語弊があるほどの、小さなトゲだ。
でも、たかがちっこいトゲでしょ、ふふん誰にも頼らず、自然にデロデロ溶かしてやるわよ!という超能力があるわけでもない私には、忘れているときはあっても、永遠に放置できるほどでもない程度に痛むことがある。
時々、痛くて歩けないこともある。
そんな時には、友達に慰めてもらい、休ませてもらい、話を聞いてもらい、一緒にゴハンを食べてお酒を飲んで遊んで、歌声や笑い声に癒され、新聞の切り抜きやら参考図書やらちょっとしたご厚情に涙し、自閉症を理解しようとしてくれる人たちのメールや声に励まされて、英気を養う。
いつだってそんな風に、私はいろいろな人に信じられないぐらい助けてもらってきたんだ。それは、どれほど感謝したって足りないぐらいだ。
そんなふうに私のまわりにいてくれる友人の、一体、誰が迷惑だっただろう。ええーっと、ご迷惑でしたか?
いや、多分、みんな迷惑かけられることなんか何でもないぐらい、器量のでかい人たちばかりだ。
「俺、小僧としゃべるの、結構好き」
「この子は、かっこええ!! ちゃんと優しくて、くらくらするほどいい子だ」
なんてテニスコートの隅っこで言ってもらえてるだけで、小僧の心がまたひとつ、外側に向く。世界は喜びに満ちているみたいだ、この慈愛に満ちた大人たちと何か話をしてみたいと思えば、小僧の欠損のある中枢神経は別の脳の部分に働きかけもしたんだろう。小僧は変わった。人なつっこい自閉症、という、ちょっと珍しいパターンに成長して、今に至る。
紫と緑と赤と黒しか使わず、絵が形にならない四歳の頃、
「ばかもの、それがゲージツだ」
とゲージツでごはん食べている人に言われたら、そうだゲージツだ。と、安心する。くじけそうなときには、叱咤激励も気つけの薬だ、ありがとう。
小僧が、カレーばっかり食べていて、サッカーばっかりしていても、いるいる、私の友達で、カレーが好きでサッカーが好きで、一日中絵を描いていて、とっても男前な人が。と思えば、それもまたよし。と思える。
「大丈夫、福助君は才能を活かして仕事をし、女にはモテモテの人生」と予言され、「でも結婚は一度や二度じゃすまないだろうなあ」と、ある御方の運勢にさも似たり、などとよく当たる占い師に言われれば、その言葉が、すでに大きな救いにもなる。そしてもう、そんな「存在そのものがありがとう!」な友達多数に、ひれ伏したいとさえ思う。
やっと、黙っていればなんとなく普通にふるまえるようになった小僧が今こうしてあるのは、みんなからもらった愛の奇跡だ。アモーレ・アモーレ〜。

ラッキーだったんだろうな、私は。友人の質だけはピカイチという、強運のおかげだ。

だからもちろん、逆に私が背負えそうな荷物があれば、張り切って持ってあげたい。
ヘタに「だって迷惑なんじゃ……?」なんて言われると、そんな軽い荷物すら迷惑に思う程度の力量だと思われていたことに逆に傷つくと言う。
遠慮するその当人が一人で背負えるならいいよ、けど、見るからに大変そうなんだもん。
実は、そんな人がいてね。
我が子が自閉症と診断されたのに、「自閉傾向があると言われただけで、自閉症ではないのよ、つまりいくつかの特徴が似ているらしいの」という認識で立ち止まり、該当しない特徴を我が子に探し続けているのだ。心が痛む。
まあ、気持ちはわかるんだけどね。簡単には、受け入れられないんだよね。
けどさ、そういうことも含めて、チャンス、チャンス。自分が変わるチャンスだし、今までの育児を再チェックするチャンスだし、自分の子どもが劣って見えたのは実は自分のしつけのせいじゃないと開放されるチャンスでもある。
不幸な部分ばかりに着眼しがちだけど、困難があるからこそ見えるものがある。
私は小僧が病気でなかったら、こんなに温かい人の心に触れることはできなかった。こんなに友達を誇れたかもわからない。友達のために何でもしようと真摯に思える自分が好きだ。あ、結局自分か、自分が好きなのか?
おかげさまで、日々、ちいさな感動の連続で、悩んでいるヒマもなく、きっと人生の終わりには「あー、面白かった! 」と言えそうな予感がする。
旅行だって、平穏無事な観光旅行より、ちょっとハラハラドキドキした経験の方が、あとでずーっと面白いもん。
もちろん、「障害」なんて聞いちゃえば、陰鬱にもなる。そのまま陰鬱でいる権利もあるから、無理して明るく振る舞う必要もないけれど、彼女はずーっと陰鬱キャラで進んじゃうのかなあと思うとちょっと心配だ。
でね、おせっかいでちょっかい。すると、
「だってご迷惑かけるわけにはいかないから」
と言われちゃったりするんだ。軽ぅーく、拒絶なのかな?
あるいは、大変そうな人なんか放っておいて、または目に入らずに、スキップして先に行っちゃうようなタイプに見えるのかな、私は。
器量、実はミリ単位でしか計れないほど狭いとか、思われていたりして。
……見えそうな、気もする。その辺りのこう、人徳のなさが、私の弱点ね。うーん、ちょっとふざけた顔してんだなあ、私。メガネかけると、食い倒れ人形みたいだし。

そんなわけで、まだ私には背負えないみたいだけど、彼女の重荷がいつか、軽く小さくなりますように。
いやそれは多分無理だから、彼女がその重荷を軽く小さく感じるほどに、大きな人になりますように。このぐらいならできれば持ってくれないかしら、いや、さっさと持て!と気軽に言える人になりますように。
そして、そのときに、ちゃんと気軽に「任せて!」と言える足腰を、私自身が持ち続けていられますように。


2006年02月27日 21:42
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