「南極の歌」を覚えたらしい。
♪ペンギンたちがぼくらを待ってる〜。
という歌詞。
「あのね、福ちゃんママ、福助君ったらペンギンたちがもぐらをまってる〜って歌うんだよ、それ聴くたびに、ひろりん(仮名)、笑っちゃうの!!」
と、同じクラス一の賢いちゃんが教えてくれた。
「ねー、福ちゃん!! 」
とにっこりだ。女の子は愛らしいなあ。すると福助、ほほえみを返して、「ああ、新曲の歌ね!」
わははは。南極だ、南極。新曲の歌、って、いきなりカラオケか、おまえは。
だいぶまともに日本語が出てきたと言っても、やはり自閉症を抱えている以上、言葉には問題を抱える。しかし、この問題が毎回とても面白いので、ちょっとうれしくなる。
今日はいい天気。公園で一緒にサッカーボールを蹴った。
ご近所さんの美形のまいちゃん(仮名)をものすごーく気にしている福助は、一度空振りしたときにまいちゃんが大笑いしてくれたことで気をよくして、何度も何度もすっころんで見せる。普通の男子は笑われると恥ずかしいモノだが、福助は笑われるのが大好きなのだ。何度でも派手にこける。しつこいほどに転げて、そのたびにまた、まいちゃん、溶けそうなスィートな笑顔で笑い続ける。……実際は、なんかとっても、福助かっこ悪いんですけどね。まあ、いいか。
「ボールは友達です」
と、サッカーのDVDでコーチが言ったとき、
「俺、友達蹴ってるの? 痛くないの?」
と心配そうに言っていた。これまた自閉の特徴のひとつ、心優しいの。
いいところだと思う。ボールは蹴られると嬉しいのかもよ。と、サッカーボールM説で納得させる。
そのあと、親子体操教室。
どう見ても福助の御仲間というか、見る人が見れば完璧なまでに自閉傾向を持つ子が、体育館の灯りの下で、目を細めてくるくる回っていた。説明が聞けない、競技が理解できない、多動である、ふざけてつばをだらだらたらす、視線が合わない。
福助はすでに、こういうことをしなくなっている。説明は私が補助をし、競技を理解させるために構造化して伝え、やってはいけないことは徹底的に教え込んでいるので、一見、どこから見ても普通の子どもだ。これで、社会とは今のところ、違和感なく折り合っている。
「また、この子はもう、ふさげて!!」
と、その子が叱られるたびに、その子に罪はないだろう。と、心が痛んだ。
責められるべきは、母親の方だ。これだけはっきりしてして、なぜ彼を責めるのか。彼は病気なのだ。その診断を怖がって普通の子と同じ扱いで叱ることに何の意味があるのだろう? 彼には母親の叱責は全く届いていない。多分、そんな声でわーわー長文で叱ったって、理解できないんだもの。
自閉症の子どもには、短い単語で、適確に。
時系列というか、手順をわかりやすく単語で与えれば、より、理解しやすい。
彼を「自閉症星人だ」と、認めてやるだけで、お互い、ずっと楽になるのに!!
でも、言えない。彼女が過去に何度か診断を勧められて、そのたびにそれを断っているのを風の便りで聞いていたから。
なまじその子がとてつもなく美しいだけに、ものすごい目立ってしまう。こんな美形の子どもに恵まれたのだから、親は信じたくないんだろうというのも、わかる。
けど、軽度の自閉症なんて、ちょっと乱暴な例えだけど「左利き」っていうのとあんまり変わらない。どちらも、脳がちょっとばかり特別製で、天才性を帯びた、少数派だ。
左利きも昔は「ぎっちょ」などと言われて無理矢理強制したようだが、今ではそんなことを言う人もする人もいない。そして、彼らが天才性を持っていることは周知の事実になっている。
上手く育てれば、自閉症だって、おいしいかもしれないのに。
よくよく見ればスポーツ選手や受賞した科学者や文学者、すなわち天才肌にはものすごーく多いんだもの。偏屈、頑固者、エキセントリック、ストイック、異能……そんな言葉は、全部症例に当てはまる。
浅丘めぐみが「私の彼は左利き」を歌って左利きが急遽、憧れの対象になったように、軽度自閉症がそんな目で見られる日も、そう遠くないと思うんだけどなあ……。だって、とてつもない特殊能力に満ちているんだよ、自閉症星人。
昨日、福助はサッカーの練習試合で負けた。
「負ける」ということが人一倍悔しい自閉症は、その気持ちをなだめるために、帰宅後100本シュートをする。ただ悔しいと泣かせておくだけでは惜しいので、その気持ちをぶつけるはけ口を提示したら、素直に乗ってきた。誰が見てようが見ていまいが、さぼることなく、きっちり、100本。昨日はゴールキーパーでミスをしたから、シュートは50本にしてと申請し、その後、キーパーの練習をしたいと申し出ていた。
5歳である。
これは、病気が作り出す執着と集中力なのだ。
けれど、その方向がこっちに出ている限り、多分普通の5才児ではあり得ない「努力家」ができあがる。「普通でない」=「異常」ということだけど、それは、=「特別」ということでもあるのだ。親がその子を認るか認めないかで、結果がまるで違ってくると思うのだ。
だから、臆せずにその子の診断を受けて、そして適した指導をすればいいのに。と、しみじみ思うんだけど、そうはいかないのかなあ。余計なお世話に身もだえしちゃうわ。
ペンギンはぼくらをまってるのであって、もぐらは、多分南極にはいない。氷の中では、穴を掘れそうにないし。
でも、そんな世界を疑いもなく歌える幼児期が素晴らしい。それを臆することなく歌って、笑ってもらって、お互いに幸せになれている友達がいることが、素晴らしい。異星人のような自閉症児が、この世界に慣れるためには、ずいぶん苦労もしただろうけれど、福助は社会性を得たことでクラスのお友達を得て、一緒に笑い合っている。私も一緒に笑い合っている。
恥ずべきは、病気ではない。病気を卑しく思う、気持ちの方なのに。
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