2006年02月03日

長い土産話

シンガポールのことを書きます。

日本では真冬なので、我が家で「ホームレスジャケット」と名付けられた、厚手の長いカーディガンのような、よくホームレスの人が着ている雰囲気の上着を着ていきました。でも、結局子連れだから荷物は持つし、走るし、駅ですでに汗ばんでんの。これから夏の国に行くときに、こっちで汗かいちゃダメだろう。しかもできるだけ荷物を少なくしなきゃならない時に、何で汗ばむほどの厚着?
なんか、「負け!! 」って気分でした。

でも、飛行機の中は寒くて寒くて、とてもフリース毛布一枚じゃたらず、このHJ(ホームレスジャケット)がとても役に立ったのでした。さすが、ホームレスジャケット。
三列の椅子に横たわり、私がP子を抱きしめ、福助を私の上に載せて眠る。という、どこかのサファリパークにありそうな光景でしたが、しっかりと眠れてよかったです。私のオシリが大きいので前列の背もたれを骨盤でしっかりホールド、空間があっても落っこちないのが便利でした。

ついたら一時、なんだかんだで寝たのは三時過ぎだったので、翌日はゆっくりめの八時半スタート。しかしここから既に睡眠不足との戦いだったわけで、その次の日は九時、最終日は九時半と集合時間はずるずる後ろへ。でも遊びまくって、寝る時間もどんどん遅くなったので、結局睡眠不足は否めず、シンガポールで時差ぼけ状態になって帰国したのでした。時差、ないっちゅーの。

しかし、うちの子は強かった。食事に定刻にありつけなくても、睡眠時間が不規則になっても、楽しさが勝って、全然平気。私は生まれて初めて、睡眠障害を持っている小僧のメリットを知りました。睡眠障害って、もともとうまく睡眠がとれないわけだから、旅行がハンディーにならなかったのね。しかも、何でも食べてみたいP子は「うまーい」を連発、それに触発されて、福助も食べる食べる。屋台メシで腹をこわすこともなく、レストランでは親が恥ずかしくなるほど綺麗に平らげ、それで毎日二時間のプールに入って大はしゃぎし、街を何キロも歩いて、P子はショッピングを楽しみ、福助は鬼ごっこを楽しみ、……一体、どんな体力なんだ。毎日湿布をして寝ていた私とは、人としての格が違うのかもと思い知らされました。

中華街で宝石を見ていて、
「綺麗ねぇ。ねぇ福ちゃん、いつかおかあさんにこんなの買ってよ」
と、41年間の人生で、生まれて初めて男に宝石のおねだり、というものをしてみました。
「あー、ダメだー。福ちゃん、16ドルしか持ってないんだよー、惜しいなー」
と、体よく断られました。

セントーサ島では、子ども達がピンクイルカに触りました。「誰かショーのお手伝いをやってくれる人!」というたびにはーいはーいと手をあげたP子、しかし指されることはなく終了。
ショーが終わった後に自然保護のために寄付する13ドルを払えば触らせてくれるというので、チケットを買い、福助と二人でイルカをじっくり触らせてもらいました。そのとき写真を撮られていたので、「あの写真はどこで買えるのか」聞くと、「買えません」という。じゃあ何のためにとっていたの?と聞くと、「ボランティアなんです」という。何がボランティア? カメラマンがボランティア? さっきのショーの子はボランティアで参加したからタダの写真もわかるけど。いいえあの、つまりタダなんです。とだけ、言われても。こっちは観光地の写真と言えば一枚1000円と相場が決まっていると思いこんでいるので、何が何だか意味がわからない。何でタダ、何がタダ? と混乱し、「もういいや、じゃ写真の件はなかったことに」というと、とにかくあそこに行けと。示された場所に行くと、でーっかい2L盤の写真が厚紙に挟まっておいてあり、P子の顔を見るなり「サンキュ」と渡されました。あ、これがタダ? つまりイルカおさわり写真込みで13ドルってこと?  それはお得だ〜っ。日本人観光客には、もっとそこんとこを宣伝しなくちゃ!!と力強く、思いました。って、何の指導?

水族館でP子が一生懸命メモしたのは、エイの顔でした。そんなもん、写真でとったってば。
福助は、海老やカニを見て、「ムシキングだ〜」と言ってました。赤いだろうがよ。

旧正月を迎えるので、中国語もにわかに覚えました。
「新年快楽(クワイラー)」……ああ、私たちが最初に、生まれたばかりの双子に付けた名前です。こんなところで再会したね。街中、福助の福、P子の●が至る所に。いい感じです。いい漢字。

シンガポールの運転手は総じて話し好きでした。シングリッシュと言われる英語は最後にラーがつきます。下田の人のようで、好感が持てるらー?

ナイトサファリは面白かったけど、P子も福助も真っ暗な中トロリーに揺られて即、爆睡状態に陥ってしまい、大人一人でどうウキウキしていいものやら、困ったりもしました。イボイノシシがハッスル交尾中で、ええーっと、まあ、寝ててもらってよかったかな。

オーチャードロードには、マンゴプリンで有名な許留山があったので、マンゴープリンを食べました。
あんまりのおいしさに、私は友人のを一口もらっていたのに、一口返しをすることもなく、ついうっかり、全部一気に夢中で食べてしまい、そのあとずーっと「熊のようにがつがつプリンを食べた女」「腕で隠して、プリンを一気食いした女」とからかわれる羽目になりました。高くついた、一口でした。

シャングリラで飲茶をしたら、大人四人、小学生二人、未就学四人、乳飲み子一人の計11人で、390ドル(1ドル70円)でした。この旅行中、最も高い食事になりました。フロントで50セントの切手を頼んだら手数料で50セントとられました。私たちの宿泊していたところは一泊90ドルの安宿だったので、なんとなく解せなかったです。

安宿は二日目から絶景でしたが、初日はあんまりにもヒドイ部屋で泣きたくなりました。もちろんクレームをつけて替えてもらいましたが、初日は満室なのでそこで我慢して下さいと言われました。でもどっちにしても、一畳ほどのところにトイレとシャワー。一度シャワー浴びると、トイレに入るのに水浸し。刑務所のような水回りで、
「きゃー、二度とないよ、こんな狭いところ! 」
と、子ども達はとってもおもしろがっていました。 うーん、あんまり勧めないな、ロバートソンキーホテル。ただ、友達の億ションがものすごーい近所だったので、寝るだけだと思えば、価格が魅力。
プールはテニスコートもついている億ションの方に入りに行きました。洗濯機も借りられたし、最後の日には酒盛りして、一緒に花火を見ながら新年を寿いで、みんなで歩いてホテルまで帰りました。

在星邦人がいたので、情報が的確で、しかも居心地がよかった。もひとつおまけに、気が合う妹みたいなママ友は相変わらずいい感じで、そのダンナの風間トオルは顔だけでなく性格もよくて、話術に長け、一緒にゴハンを食べるたびに大変幸せでした。今度はドバイに飛ぶかも、とのことだったので、次回の旅行は、ドバイに決定しました。地の果てまで追うつもりなのか?
おかげて、単なる観光ではない、素敵な旅行になりました。

一緒に行ったママ友とは、今まで以上に親しくなって、とっても楽しかったです。
一番英語ができないといっていたゆきちゃん(仮名)が、一番すたすた外国人に話しかけていました。「テイクフォト!」とか、「ディスカウント?」とか。それでホントに十分なのよね。彼女には世界各国に友達がいるのですが、その片鱗をみた気がしました。

あっちゃん(仮名)は、屋台メシで当たって、飲茶の日、ほとんどトイレに入り浸り、おかゆしか食べられませんでした。しかし、
「シャングリラのトイレなら、住んでもいいな」
と言ってました。確かに広くて綺麗だったけど、住むには困難が伴いそうでした。

そして私はと言えば、外国に行くと決まってそうなんですが、スーパーマーケットが楽しかった。多分、一番気に入ったのは、近所のスーパーでした。

なんかわずか三日とは思えないたっぷりな滞在で、最後はお酒を飲んでいい心地で、荷造りせずに寝こけてしまい、気がついたら三時十五分でした。集合は三時五十分です。泣きながらスーツケースに荷物を放り入れては踏んで踏んで踏んで、慌ててファスナーしめて。その時間に出ないと、マーライオンが見られなかったの。結局、荷物は26キロ、ゴミまで全部持ち帰ってきていました。

もちろん、着替えもそのままで。帰国したときにHJ(ホームレスジャケット)を着込んでリムジンバスを待っていたら、わたしだけずーっと英語で話しかけられました。サンダルばきで、夏物のイージーパンツで、とても日本人の格好じゃなかったんです。HJもまた、異国情緒をかもしがち。

さて、私の英語は思っていたより錆びていなくて、相手も第二国語という気安さもあって、電話でもタクシーでも言いたいことは全部言えたし、聞いてることも、イルカショーの時の無料写真以外は全部わかりました。ちょっとばかり自分の語学能力に自信を持っていいのかも。と有頂天になっていましたが、帰国後「ねえ、ちょっと福井物産展に寄っていかない?」といわれたのを何回復唱してもらっても聞き取れませんでした。フクイブッサンテンって、日本語の音じゃないと思うよ。

で、デジカメがまだみつかりません……。おかしいなあ!! 
帰りのそば屋で忘れてきたんだろうか。そろそろ探す場所もなくなって、青くなってきました。


2006年02月03日 00:44
コメント

有栖川有栖著『マレー鉄道の謎』にも、英語の語尾が『〜ラ』となるという記述がありました。『OK』なら『OKラ』といった発音になるそうですね。作者本人が取材旅行に行ったそうで、そのあたりの描写は細かかったです。

いや、それだけです。

Posted by: 靴の人 : 2006年02月03日 03:52

土地が変われば習慣も変わるんですね。
「ええい。ラ抜き英語を使え!」って言いたくなったり。
せーへん、せーへん(笑)

Posted by: トロ〜ロ : 2006年02月05日 00:44

見事にOKラ〜? でした。
こんなんで国際社会でいきれるの?……ま、ラ抜きばかりがいいわけでもなく。

Posted by: ゆう子 : 2006年02月14日 22:04
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