かえすがえすもムシキングが憎い。
せめてセガは小さな子どもからかっぱいだ100円玉の山でいっぱい税金を払うがよい。そして、せいぜい国民に還元して頂きたい。社員旅行にハワイとか連れていったら、島の虫という虫が襲ってくるように子ども達と呪いをかけるキャンペーンを張っちゃうぞと思う。
小僧のカードホルダーからおおむねレアカードが消えたので、みんなが小僧をちやほやしてくれる日々はもうすぐ終わるだろうと思った。札ビラで歓心を買うのは、必ず縁の切れ目がやってくる。
ものすごく、痛い。胸が、痛い。
私の祖母がそうだった。
戦争を生き抜いて、信じられるものは金だけで、だから愛情の対価を金に求めた。子ども達や孫達の歓心を得るために、大金をばらまく。もともとが乳母日傘で育った大地主の娘、農地改革がなければ栃木の大半は彼女の生家・関口家の土地だったそうだから(多少オーバー)、金の使い方は半端ではない。彼女は孫に愛しているというかわりに金を配った。それで孫は喜んだかというと……。
要領のいいある孫は、彼女にヴィトンのバックをねだった。本当にバック一つが30万もするのか、その価値はあるのかと、彼女は一切小遣いを拒否した私に電話をかけて聞いてきたものだ。
「ゆうちゃんにはおこづかいもあげられないのに……」
と、とんちんかんな謝罪の言葉を何度も聞いたが、それはきっと、彼女が唯一知っている愛情表現だったからだと今ならわかる。この前は水着を買わされて5万円、サイパン旅行の費用を10万円出した、と、実に細かく彼女は「自分のしてやったこと」にこだわっていたのだったが、そうまで尽くした孫の結婚式にも、彼女は最低の末席で望んでも出番はなかった。もちろん、嫁ぐ日の挨拶も、いや、彼女の誕生日にも花束一つもらえないのだった。
彼女の死後発見された通帳の残高がほぼゼロだったそうだが、その困った孫の親は、使い道をまるで知らず、葬式代すら残さないと、扶養している自分が葬儀代を出すことに文句を言っていた。祖母が同居し、そこで亡くなったまさしくその家の頭金1800万は、祖母の金だというのに。そこに住むために売り払った家と土地は、全部タダで譲り受けていたというのに。
四十九日を待たずに祖母の持ち物は全部売り払われ、
「たいした金額にはならなかったわ」
と形見分けもしない彼らは言った。祖母の持っていた宝石のひとつひとつ、着物のひとつひとつには値段に替えられない思い出があり、私はいくつかを知っていたから、せめて説明したかった。着付けのできない叔母が、値打ちものの着物をもらっても仕方ないだろうにとも思ったが、それはそれで、祖母の想いを身にまとってくれるなら、とも思った。
しかし、いや案の定、祖母は三周忌もあげてもらえなかった。
結局、私は彼らと断絶した。金輪際、つきあうつもりもない。
しかし全部、おばあちゃん、あなたが悪いよ。と、思う。叔父がダメ息子なのはもうどうしようもないが、何より「金」を介在させた愛で育てた祖母に責任があるよね。
なぜ、愛していると言葉にしなかったの。なぜ、二人の息子を比較し続け、比較の中にしか愛を見いだせなかったの。なぜ、ありのままの自分で愛されようとしなかったの。私はあなたを尊敬していた。小遣いを固辞してからの方が、ずっとずっといい関係だった。
……金はだめなんだ。
少しもらううちは感謝もするが、度重なると麻痺して、もらって当然、もっとくれ。という風になる。そうやって、純粋な愛情関係は腐敗していく。私だってそう思った時期はあった。それは人として卑しい感情だが、人には欲がある。底知れぬ欲が、愛を愛でなくしていくのだ。
だから、金はうまく使わなければダメなんだ。
ムシキングカードで培った友情は、ムシキングカードがなくなったときに終わるだろう。
そこが祖母のケースと重なって、泣きそうになる。
とても素敵な君たちの友情が、壊れないことを、おかあさんは祈ってるぞ。
サンタクロースに頼んだモノは、間違いだったか。そこから、小僧は何かを学んでくれるだろうか。
「だって、みんな、あげるっていうと喜んでくれるんだよ」
「欲しいって怖い顔されたり、泣いちゃったりしたら、あげるしかないんだよ」
「あげたんだから、きっと何かもらえるんだよ、それがいつかわかんないだけ」
……イノセントというのは、バカと訳すべきだ。かあちゃんは君が不憫だ。
そして、福助はたった一枚だけ残ったレアカードつよさ160を、こっそりと隠している。
「だって、みつかったら、あげなきゃならないから」
P子があげた、そういう意味では超レアな小学三年生特別付録のクワガタのジョーは、別の子に気前よくあげてしまった。 しかしP子にそれを詰問されると、
「ごめんなさい、とられちゃったの。明日、返してっていうから」
と、返事の内容が変わっている。子どもの言うことなど主観ばかりで信用できないという前提でいるが、強気のトレードを得意とする子が勝つ資本主義のルールを5才児に適応していいものか。
やはりどこかで、親が関与すべきかもしれない。……ああん、めんどくさいなぁ。
母親は誰一人として、トレカで遊んだ経験などないのだ。しかも私はあの絵が既にサブイボもので、フィギュアなぞ見た日には鳥肌から羽根が生えるほど、つらい。
以前福助のガールフレンドのママから、
「あんなにもらってしまっては……」
と言われたが、何のコトやらサッパリわからなかったし、それで福助がいいならいいのだというスタンスだった。同様の電話やメールは何回か受けており、そのたびに福助がいいのなら、と答えていた。そんなコトから、親たちはみんなずいぶん管理しているようだから、念のためジョーについては打診してみたんだが、そこんちの親は「一切関知せず」という姿勢だったので、それは尊重すべきだし、まあ、あとは若い人同士で。ということになった。
明日、断られても、ジョーが戻ってきても、教育的な価値はあるだろう。
けれどただでさえ敏感なママ友同志の秩序を、公序良俗を乱しているという事実を、セガはどう考えるのだ。PL法を適応してでも、トレカのルールを徹底して指導してほしいものだ。
祖母のことがなければ、こんなに感情的にはならない。
これは祖母から学んだ大切な教訓だったのに、息子に活かせないことがもどかしい。
誰か、先輩ママが、「そのうちなんとかなるわ」と言ってくれるのだろうが、いやそれはわかっているのだが、今がわからなくて。今、それでは、私たちはどうしたらいいのだ。
子供の世界は、変わりつつありますね。
「ムシキング」に限らず、カードゲーム全般あらゆるところであらゆる問題が噴出です。
昔は、子供のトラブルに親が出るのはタブー視されていて、それでも子供たちは自分達で解決してきたように思います。
今は、親が、子供が友達から奪ってきたカードを金に変えてしまう時代なのです。
(お友達が被害にあいました。)
まず、親を教育しなければならないとつくづく悲観的になります。
ふくちゃんのこと心配ですが、幸いお友達の親御さんが、まだまともに接してくださってる環境だと思われますんで、きっと大丈夫です。
ただ、時と場合によっては親が腹を据えて出て行く覚悟が必要だと思います。
そのときは、全身全霊を傾けふくちゃんを守ってあげてください。
私ごときが言うまでもないでしょうけれど。
モノが豊かでも、今の子供たちは生き難くなってる気がします。
お帰りなさい。無事帰ってこられて良かったです^^
ムシキングについては全くその世界が分からないのですが(すみません)、おばあちゃまの下りに激しく反応してしまいました。
なぜなら、私の祖母がちょっと似てるから。
愛情も手間もお金も沢山与えた長男、その嫁、孫達。今誰一人として祖母のことを気にかけません。
愛情はたっぷり与えてもいいけれど、お金は余分に与えるものではないな、と感じます。本当に、信じられないけど、もらう方はそれが当たり前になってしまうのですよね。
このことではいつも悲しい気持ちになってしまうのです。ちょうど祖母が施設を移り、気にかけていたのでゆう子さんの日記はなんだかとてもタイムリーでした。
奇麗事かも知れませんが、私はこう言われた事があります。ちょっと本題とズレますけれど。
『傷つける人よりも、傷つく人に』
『騙す人よりも、騙される人に』
福助くんも、やがて『本当の友達の作り方』『本当の人脈の作り方』を分かる時が来ると思います。
Posted by: タネ : 2006年02月04日 23:33HOME |
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