2006年01月05日

アリバイ作り

あ、失敗した。
これで日付は1月5日になってしまったわ。
しかし、日記をとりあえず白紙でアップしておいて、そのあと「修正」機能を使ってゆっくり書けば、私はその30分前ぐらいからずーっと日記を書いていたことになり、アリバイは成立するのではないかと小さな脳みそで思ってみたりした。
私の思うアリバイなんてせいぜいこんな程度で。本格ミステリーにご縁のない者としては、わかりやすくそこここで面白い「古畑任三郎」は大好きな番組だった。今日の(正確には昨日の)イチロー主演は再三フィクションを強調されたのでまいったけれども、それでも十分おもしろかった。イチロー、うまいし。初日の藤原・石坂主演の話はものすごーく満喫したし、明日(正確には今日)で、古畑ファイナル。実に寂しいなあと思う。
昼間はマダガスカル(英語版)とシュレック2(日本語版)を見て、途中家族でビデオを返しがてら買い物に行って、ちょっと贅沢して、夜はドラマ。ああもう一年中お正月だったらいいのに、と思うわ。ドラマは、映画も芝居もテレビも、大好きだ。
ところで、相方は今、珍しくドラマ「24」にはまっている。
だが、感想が「構成が」「脚本が」……と、内容になかなか踏み込んでこなくて、どうもちぐはぐなのだ。息もつかせぬほどの展開にドキドキする緊迫感は共有しているようなんだけど、登場人物の痛みとかその台詞の重みや表現方法やエピソードとかではなく、とにかくドラマ全体の仕組みに最も興味を抱いているらしい。
同じドラマを見ていて、見方がまるで違うんだなあ…と思う。
でも、だからこそ「へえ、そんな見方が!?」と思うことが多くて、面白い。
そういえば、ネットには古畑マニアや三谷マニアたちがたくさん住んでいて、「そんな見方が?! 」の嵐である。ものすごーく熱く彼らを語り、私には見えなかったことだらけで感心しきりだ。マニアと呼べる何ものをも持たない私には、語るだけの素材も智恵もないからね。
ただ、グルメな海原雄山にはまずくて絶対に食えないようなものが、私にはおいしく頂ける。今夜も我が家的にはスゴイ贅沢だけど、雅子様の食卓だったら絶対に見かけない安い素材も使っている。それと同じように、ドラマの洞察が浅いのは、見方によってはものすごーくお得な気がするわ。何見ても、面白いんだもん。貧乏舌だからこそ、ロマネコンティーよりマドンナで十分、500本余分に買えるんじゃ、酔えば同じじゃ、みたいなノリで、プロットに問題があってもそこは飲み込んで、うわあ面白いや〜って感じね。
一歩進んだ通の見方ができるようになりたい気もする、例えば寄席とか、歌舞伎とか。江戸文化も、深く知れば知るほど「微妙にしかわからない旨味成分」みたいなのが堪能できちゃったりするんだろうから、それはそれで、やっぱり楽しかろう。分かち合える人は少なくなっても、絶対フェチというかオタクもいるはずで、それはディープな世界ならではの何かすごい快感が待っていそう……。
でも同時に、まあいいか貧乏舌で、悪食で。 という部分も残っていて、この辺りのスタンスはかなりぐらぐらだなあ。
あと10年もすると、もうあんまりこの手のコトには迷わなく、こだわらなくなるのかしら。タイムマシンに乗って、未来の自分と話してみたいなあ。要注意地点を聞いておけば失敗もせずにすむ……いやそうなるとパラレルワールドが出てきちゃうんでしたっけ?  SFの知識も、この程度で恥ずかしい。

このお正月、将来の子どもたち宛に手紙を書いた。いざというときの遺言状、こちらは書き直す必要が全くなかったのでそのまま在版流用して、一応、P子と福助と相方にあてて、書いてみた。
四年前に書いて毎年使い回しになる遺言状と、毎年書き直している個人宛の手紙は、ちょっとしたタイムカプセルだ。子どもの成長もそうだが、自分の親としての成長の度合いが測れて、ちょっと面白い。遺言状は、私自身の存在証明なのだ。
では、それを利用して事件を……うう、想定できず。

2006年01月05日 00:00
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