2006年01月01日

一年の計は元旦にあり

お屠蘇代わりに日本酒を屠蘇器で飲んで、お雑煮を祝う。
私が娘と息子に着物を着せている間に相方が用意してくれた、昨日から仕込んである雑煮が、大変においしい。鳥がらのスープに鰹の一番出汁を合わせて、醤油とみりんであじつけ、小松菜と鶏肉。餅は角餅。ああ、正しいTOKYO JAPANのお正月。
お年玉は1500円(福助)と2500円(P子)。もちろん、札は徴収する。
おせちは適当だが、それでも三の重まで用意するとそれなりにゴージャスだ。
どうせ昆布巻きはよろこぶから、鯛はめでたい、黒豆はマメにはたらけ……てな、誰かの言った語呂合わせでできているのだ、つまりは、オヤジギャグの神髄こそがおせちなのだ、まだオヤジが怖かった頃のな。と、相方と結論づけたため、鈴木さんちならではのダジャレで様相を整えればそれでよかろうということにした。それで、お正月らしいもの以外の、例えばポテトサラダなんかも大量に詰め込まれている。意味は、「いもいもしいヤツは食ってかかれ」とかなんとか。大喜利か?
私の実家のお正月は厳かな昭和の雰囲気そのままであった。どこにお嫁に行っても大丈夫なように育てたかったからなのか、祖母がいいとこのお嬢だったからなのか、その辺はよく知らないが、着付け、茶道華道書道、年中行事の一通りはたたき込まれて育った。
それが全く活かせない繰り下がり次男(※義理姉が跡取りのため長男は養子縁組した義理兄である)と結婚して、東京で核家族を作った。まあ、世の中そうしたものね。
おそらく、この不器用さと間抜けさでは、名家には嫁げなかっただろうし、嫁いだとしてもすぐに追い出されただろうが。
年中行事は文化の軋轢をうみやすい。我が家独自のダジャレおせちが浸透して、P子がお嫁に行った先で恥をかかなければいいなと、ちょっと思う。思うけど、夫婦がそれなりにお互いを思いやって独自の文化を創っていけばいいんだと気づけば軋轢なんか簡単に克服できるから、そうしなさいとも思う。「自分たちのやり方」を話し合える相方でなければ伴侶としては困りものなので、そういうのを探してね。
今、相方は寝ている。
「俺は俺のやりたいことをやる」という唯我独尊の相方を横目でにらみつつ、昼酒かっくらって寝てしまう、それもまた正しい日本の正月のあり方かなと思う。
こんな相方と結婚14年目に突入した。世界中の人が「おめでとう」と私たちの結婚記念日をお祝いしてくれたので(なんておめでたい私!!)、とりあえず銀婚式までは頑張ろうと思う。
さて。
せっかく相方以外全員着物なので、どこかに散歩に行くか……。
初詣って、こういう暇つぶしのためにあったのかもなあ。子ども達がものすごーく退屈そうで、見ていて忍びない。
静かに、ゆっくり時間が過ぎていく。それが日本のお正月。普段忙しくしている人にとっては、なんて贅沢な時間の使い方!
さて、今年はどんなことがあるのだろう。わくわくしつつ、さ、キッズ、おでかけすっぞー。(結局、動き回る一年になるのか?)

2006年01月01日 16:01
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