2005年12月13日

ソフトボール部出身

さあ、バッチこーい。
というかけ声で毎日白球を追っていたのだが、気づいたら希望したポジションはキャッチャーだった。
とにかく球に触れていたかったの。
というか、待つだけの位置はどうにもダメだったのだと思う。
中学時代、私はソフトボール部だった。登校拒否をするまでは、きまじめに部活にも通い、学生鞄を垂直に持って学校に通い、自宅では必ず腹筋背筋と素振りをし、牛乳をたくさん飲み、いつも手にマメを作っているのが密かな自慢であった。そして、せっかちな私は、とにかく一番展開が激しいポジションを好んだのだった。
そういうのは、実に性格が出るんだなあと思う。「バッチこーいバッター」というかけ声の10倍、「ナイスピー! ナイスピー! 」とかけ声をかけたと思う。下痢を促す呪いの言葉ではなく、ピッチャーのいい球を期待し、バッターにプレッシャーを与える役目だ。ずーっとしゃべり続けてバッターを緊張性下痢に追い込んだかもしれないので、当たるとも遠からじ。
これもきっと今の生き方に影響している。いい球、こーい。いや、暴投だったとしても受け止めてやるぜっ、オレがな! !みたいな。

チーム。
気が合おうが合うまいが、目的はひとつ。その目的を遂行するために、つらい個人練習を耐える。そして私はチームメイトのナイスピーを祈り、相手のバッターにプレッシャーを与える。それが私に与えられた役割だ。守備範囲はお互いアイコンタクトで不可侵だが、リスク回避で必ずカバーに入り、互いのミスは責めない。勝ったときは共に喜び、負けたときは反省する。
あら。これって、今でも応用しているじゃん!
体育会系の学生が、企業に高く買われるのは当然だと思う。チームで動く時の身の振り方を、すでにスポーツで熟知しているのだから。
部員27名、三年最後の試合ではレギュラーを逃したが、私はソフトボールが本当に大好きだった。
そして、白球を追わなくなってから27年たって、どんな時もどんな場所でも、結局、自分のポジションと試合の展開とチームのコンディションをいつも考えていることに気づいた。
こんなところで生きていたとは、知らぬ仏のおとみさんである。……古すぎて、多分誰もわからない。

どんな問題もナイスピー!   どんな状態からだって、チャンスがあれば私が殺してやる。
ひとたび攻撃になれば、打って走るが、チームに貢献するためには犠打だって喜んで。
やるぜやるぜやるぜやるぜやるぜやるぜ。……無駄に熱いんだよなあと想いながらも、私の精神的なバーチャルゲームはいつだってご都合主義の連戦連勝だから、強くなる分、加熱する。
次はどんな相手だ。さあ、かかってきやがれ!!

昨日明け方近くまでメールでやりとりし、今日、午前中かけてある作業をしながら、「ゆう子はどうしていつもそんなに元気なの?」と眠そうな相棒に聞かれて、瞬時にはわからず、「内臓とか骨格がすごーく頑丈にできているからじゃない?」と答えておいたものの、そういえば無駄にほとばしるこのエナジーの元は何か。と、考えたみたのだった。
内臓も骨格もいいんだけど、問題は脳だ。このアドレナリン過多は、女としてはいかがなものか。
いや、もう女としては考えなくていいのか。じゃあこの私は何か、攻撃的な肉塊なのか。
何でも上達する時期にテニスをやっていればと、ラケットを握りたての時に、何度も後悔した。ピンポンなら温泉旅行の時にヒーローだっただろうに。いや顧問がしつこくつきまとった陸上をやっていれば記録保持者として自慢できたかも、先生に勧められるままに美術部にいっていれば美大に行って楽しく過ごしたのかも……と、私の「もし」ワールドには、明るいもう一つの過去が輝いているのだが。
いや、しかし。
ソフトボールでよかったんだと思うな。きっと当時それが一番、好きだったんだ。無駄な時間だったようでいて長い目で見ると、実はものすごーく大きな影響を与えていた。

そんなことに、41まで気づかないというのもどうかとは思う。
でも、なんかこう、意識することで血肉にした感じがする。さらに、血湧き肉躍るよ。肉なんか、普通に階段上り下りしたって、激しく躍ってるけど。
さ、ナイスビーで、バッチこーいだ。とれないボールがあるものか!!

2005年12月13日 22:53
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