2005年12月10日

とある人の命日

命日を覚えていたわけではありません。
でも、今日は上野顕太郎さんの奥様の命日だと、ネットの日記で読みました。
うえけんさんは、私が個人的に大好きな作家です。さほど親しいわけではなく、ただ単に私が一方的に慕っている天才の一人です。
うえけんさんと鈴木みそは、もっとがんがん売れていい作家だと思う。それはともかく。
愛妻家であることは作品から容易に伺えました。
いや、堂々と公言されていました。
希に登場する奥様はギャグのセンスとキレがよく、漫画家の嫁という同じ立場から、私の思い入れは強く、密かに好敵手であると意識しておりました。いつかお会いしたら親しくお話ができるものと決めてかかっていました。お会いしたことはありません。これからも会えません。それが、くやしい。

今日、我が家の食卓のメインディッシュは、最近料理に凝っている相方の作る「玉」でした。
とてもおいしい「玉」でした。正確には、「かに玉」を作ろうとしたのです。しかし相方、全部作り終えてから「ああーっっっ、かに、入れるの忘れたぁぁぁぁ」……というわけで、「蟹抜きのカニ玉」すなわち、「玉」だったわけでした。蟹が入っていたら、もっとおいしかっただろうな。
そんな何でもないことを、例えば今日の「玉」の味を、幸せだと思いました。

一年前、訃報の後黙祷し、いつもの生活に戻っていつものように笑い合った瞬間、私たち夫婦は二人で同時に泣きだしました。こんな何気ない瞬間を永遠に奪われた友人の無念を思うと、耐え切れませんでした。
あれから一年。
子どもを亡くした時の自分を思うと、一年では悲しみなど到底癒えない。世界中の子ども達の幸福を祈る気持ちは本当でも、同時に生まれたばかりの赤ちゃんを見ることすら心痛んだ時期がありましたから、そもそもうえけんさんの奥様の命日に私たち夫婦のことなどを書くのは不謹慎きわまりないのかも知れません。
けれど、「何でもない日」が、命日の今日、特別な日になりました。この際ですから、何十年後かに天国に行ったらかならずや奥様を探しだし、「初めまして、漫画家の嫁同士ですね」などとご挨拶した後に、「玉」記念日の話なんか、したいと思います。あ、シモネタはダメかなあ。いや、今日食べた「玉」の話は、シモネタじゃない。
私の時には、時間が、傷を癒す最大の味方でした。
悲しみが深いときには、時間は、過酷なまでにゆっくりすぎました。うえけんさんのこの一年は、重力とか速度とか、もう地球上のものではなくなっていただろうなあ。だから、
うえけんさんの時間が、少しでも早送りになりますように。
たくさん寝て、たくさん食べて、生きている実感を取り戻せますように。
そして、奥様の愛したそのときのままのかっこよさで、また歳を重ねていかれますように。

うえけんさんには、彼女との日々を作品に仕上げる計画があるそうです。作家は、どんな時もファンに勇気を与えてくれるものだなあと感謝します。いや、そういう使命を負った人が、作家なのかも知れません。テレビ化されたときの役者さんは誰がいいかしらと、早くもおばちゃんの妄想は爆走中です。
作品という永遠の命を得た奥様に会える日を心待ちにしながら、今日は静かに黙祷したいと思います。

2005年12月10日 22:22
コメント
コメントする











名前、アドレスを登録しますか?