2005年12月09日

師走のおかん

とうとう昨日は日記も書けなかった。
しわすだなあ。ああ、師走なんだなあ。先生だけでなく、母も走る。日々、走る。どすどすどす。

あ、京美人な役員仲間から聞いたのだが、京都の人は「なんとかどす〜」とはいわないらしい。京都の語尾は全部どすだと思っていたら、大間違いだった。ああ、世の中まだまだ知らないことばかり。っていうか、トシをとると、どんどん己の卑小さがわかってくるのだなあ。
どすどす、で、そんなことを思い出したんどす。

連想ゲームは続く。
大阪弁の抜けない役員仲間にとっては、家でも園でも必死で標準語を話しているらしいが、どうしても文化的な温度差は厳しく、実のところ、東京は住みにくいらしい。関東を離れ住んだことのない私には、弥次喜多道中記を聞く長屋の人の気持ちに近い。
大阪なら知らない人にも平気で話しかけるし会話が即成立するが、東京で話しかけると「変な人」扱い。昨日は園の餅つき大会で、保護者の方にもふるまったんだが、並べておいてもみんな遠慮して余り食べないのがもうどうにも我慢ならなかったらしく、とうとう業を煮やして「食べて〜みんな遠慮したらあかんよ」と配って歩く。食べて、と持って行かないと食べないという東の女の慎み深さが謎のようで、彼女のオープンな異人さん感覚はそばで見ていて実に面白い。
もちろん大阪の人が全員そうだというわけではないのだろう。アメリカには、バスケの下手な黒人だっているからね。アフリカンアメリカンはみぃーんなリズム感がいいものだとどこかで錯覚しているけれども、それは偏見なのである! 

さて、博多っ子の役員仲間は、ご主人と同郷なので、家庭内では博多弁だそうだ。当然娘さんは博多人形のようなかわいらしさで「しぇからしか〜」とかも言ったりするらしいが、長時間一緒にいても方言を感じたことはないから、完全にバイリンガルに育っている。
私の中で九州の女にハズレなし。という偏見があり、しかしその偏見はあながち間違いではなく、彼女もまた役員の重鎮である。会計を握っていることもあり、若いのだがみんなにママと呼ばれて慕われている。会計の裁量権は会長(オヤジ)の私ではなく、いつもいつもしっかり者のママにある。

今期、園の役員って、ちょっとした家族のような感覚になっている。
大言壮語のオヤジと会計を握るママ。対外的なことは経験に基づいて長女が仕切り、働き者の次女は全行程に確実に参加してものすごい量の実務を難なくこなす。PCを使ってまとめるのは切れ者の末っ子。そして、受験だの何だので大変に忙しくここまでの行程、あまり実作業には関与できなかったが、大阪のオバチャンは、その一家になくてはならないムードメーカーの、いわば寅さんのような存在なのだ。
園の餅つき大会が終わって、あとはとあるPTAの式典に参列するのを残すだけになり、ああ、今年も終わりなんだなあとしみじみ思う。役員って楽しいよなあ。と、会うたびに言い合っている、私たち。なんか、こういう喜びを知らないのはもったいないよね、とかね。

……小学校も、こんな調子だといいのにな。
何かをつかみとるという動作は同じでも、幼稚園が「500円玉持って行きたいだけ」(きゃーっ、私もつかんどく!!)なのに対し、小学校は「ドブサライ」みたいな、「やらないのはズルイ」「押しつけて逃げる」みたいになってるのよなあ。
打開策はなんだろう。仕事が本当にドブサライならみんな公平にちゃっちゃとさらうべきだし、あるいは発想をドブから500円玉にしちゃうこともできるかもしれないし。

ああ、ボランティアでやるべき仕事がどこどこたまっていく。
私の家の、平成新山(洋服の山)のように。
昨晩、福助、突然腹痛に泣き、大量に嘔吐とまらず。本日、休業とする。
昨日のサッカーは練習試合で負け、帰宅後、もちろん100本シュート。日没後なので痛いほど寒かった。この、私にとって罰ゲームみたいな課題があるので、試合中の応援にも俄然、熱が入るのだが、
最近は「一点とったらムシキング」という大変現実的な提案をされるので、考え込んでしまった。
「ゆうくんだって、いっちゃんだって、いっぱいカード、もってんだよ。オレだけ持ってないのはかわいそうでしょっ」
と言う。虫嫌いなくせに。知らないくせに。……しかし、幼児社会において、交流ツールになっているわけね、カードが。それを欲しがるのは自然なことだ。ただやらせろというのではなく、自ら得意分野で稼ごうとするその意気も自営業に育つ子どもらしくて大変によい。
けれど、くだらないじゃんけん1ゲーム100円、カードはそのおまけという設定が、何となく許せず、それにのっかって金を支払う気になれない。金銭感覚のない幼児相手にえぐい商売であり、大人がこういう抜け目なさで子どもを食い物にするっていうのはどうなのよと思う。
思いながら、これを考えた人はきっと幼少期に駄菓子屋でハズレクジをひいたことが悔しかったとかいう原体験を活かしての商売に違いないので、この金儲けは彼の復讐としては正しいのかも知れないと妄想、あるいはこんな風に「ズルイ大人」の影響が、未来の資本主義を支えるのかもな、とも思ってみたり。
虫をヒーローにしたところまでは、ムシキングの発案者、ママさん達の英雄だったのに、栄枯盛衰。名誉と経済って、相反するものなのか? 子どもを通してですら、 世の中の仕組みはまだまだわからないことばかりである。

と、どっぷり母親業の日々。
いかんいかん、おかんは、深刻に考える前に、とりあえず体を動かすのが先決であった。
さあ、目の前のボラ仕事を、ざっくざっくと片づけていくのだ。走れ、風のように!!


2005年12月09日 09:56
コメント

20年間、大阪で仕事した私の見解では
「定食系がとにかく安くて美味い」
「その為食べ物の値段と美味さが反比例しているように感じる」
「ちょっと不思議に思うのだが『中華街』が無い」
「安い中華は全て『餃子の王将チェーン』なので味より速度優先」
「ゆえに餃子は中身よりも提供されるスピードが重視される」
「たぶん中華料理だけは味と値段が正比例しているのだろう」
「大阪の物価が日本で一番安いと信じている」
「自他の区別はしないので『遠慮は無用』が暗黙のルール」
「ハンシン・タイガースを応援するかしないかで人を評価する」
「非常に稀に『男は黙って○○○』のシブイ実力派人間がいる」
「彼らが応援する野球チームは全て関西から無くなった」
「余りにも報われない人生だが、黙って耐えている」
「でも、周囲にはその美学を理解する土壌がない」
「仕事は多分日本一早い」
「銭勘定は圧倒的に日本一早い」
「喋らせたらおそらく日本一速い」
「歩いたらやっぱり日本一速い」
「会話の基本はボケとツッコミであると刷り込まれている」
「ゆえに日常会話はその訓練である」
「ボケられたら、すかさず突っ込まなければ、疎んじられる」
「突っ込まれたら、間髪入れずボケなければ、相手にされなくなる」
「このように『芸は即興が命』である」
「芝居を見るのが上手である。演者をのせるのがとても上手い」
「たぶんチケット代に見合う快楽を得なければ損なので、そのように進化したのだろう」
「大阪のホームレスは平気でJRに乗る」
「公共マナーは悪い、というか、きっと知らないのだ」
「駅の構内や階段や(電車内でも)唾を吐く」
「スキー場ではいちばん声が大きい」
「スキーは概ね下手糞だが、何故か皆で一斉に揃って滑り出す」
「ゆえに大阪弁が増えたスキー場に東京人は来なくなる」
「西も東も判らない新人でも『キタとミナミ』が判れば大丈夫」
「市民は原則を守らなければいけないが、役人は例外を守らなければいけない」

Posted by: トロ〜ロ : 2005年12月09日 15:40
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