2005年11月29日

昨日の夜は

夕刻。
小僧は一日中走り回り、私はほろ酔いでいい気持ち。
ところが、家に灯りはなく、真っ暗な玄関でP子がたたずんでいた。
「ごめんなさいお母さん、また鍵なくした〜」
と泣く。3本目、今度こそなくさないでと願をかけて、1500円もするキティーちゃんのにしたのに。
「なぜなくしたか、考えられる理由は」
またバッグを開けっ放しにして遊んでいたという。何十回口を 酸っぱくしてファスナーを閉めろと言っても、ゆるゆるの娘には実践できなかったから、これはチャンスかもしれない。
「次からはファスナーを閉めるように」
「はい」
「どこでなくしたのか、考えられる場所は」
もう辺りは真っ暗だ。懐中電灯を持って、ちょうど帰宅した相方に小僧を託し、娘と二人で公園に行く。イチョウで一面覆われたような道路をかさかさ足で揺らしながら鍵を探し、遊んだ場所、自転車を止めていた場所、くまなく探させる。鍵を総とっかえとしたときのコストを弁済させる場合、アナタは何をあきらめなければならないかを説明し、それがイヤなら探そうと促し、私はベンチで次の手を考える。ほろ酔いに冷たい空気が心地よいが、こうやって「ただ待つ」だけの時間は、時間貧乏性の私には苦痛だ。
でも、こんな風にただ待つだけの時間があって、子どもは育つ。こういう忍耐も親の課題なのだろう。
もし見つからなかった場合、明日の朝は早起きをしてまたつきあおう。それでもダメなら、ちゃんと警察に行き、手続きをとるということを教えよう。失敗はチャンスだ、これは絶好のチャンスだ。

「あったーっっっっ」
50分後、うれしさあまって多弁になり、もうどうにもとまらない娘。一緒に帰宅すると、相方がおいしい野菜スープをさらにおいしく煮込んで待っていてくれた。さあ、遅れてしまったけれど、夕飯にしようね。

……ちなみに、夫の実家でもしコレをやったら、虐待らしい。緑深い、深すぎる山の奥の更に奥では、鍵はなくしたら絶対に出てこないモノなのだという。なくしても町場に降りないと、即座に合い鍵、作れるワケじゃないしなあ。いや、何より、子どもに鍵を持たせないよなあ、田舎は。

2005年11月29日 08:38
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