越せない背中〜書道教室物語〜

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私が書道を嫌いだったのは、きちんと正座して、きちんと墨を擦り、きちんと手本を見て、きちんと手本通りに書き、きちんと一時間に一帖練習し、きちんと並んで、きちんと丸をもらい、きちんと仕上げて、きちんと後片付けをしなければならなかったからだ。

リアルな知り合いなら、「ゆう子さんに、それは絶対無理」と笑うはずだ。

私ですら、この多動のゆう子さんにそれをやらせようとした親の見識を疑う。ファミリービジネスだったので仕方ないのだけれど。

高校の時に書道もペン字も文科省の検定で二級をさっさととって、民間団体の師範過程でも学んで、それでも大学の寮に入るときのボストンバッグに、書道具は入れなかった。以来、ずっと封印してきた。

地域のボランティアで、子どもたちと「何か」を通じてワークショップをやることになった時、教えられるまともな技術が書道ぐらいしか思いつかず、当時まだとても元気だった母を講師に仕立てて私はアシスタントを務めた。高校時代、母の塾でバイトしていた身としてはあ・うんの呼吸だから、久しぶりの道具も、匂いも、母との掛け合いも、そしてやっぱり圧倒的にかなわない上手な母の字を見るのも、懐かしく楽しいひと時だった。

楽しいことを友達に話さないではいられなくて、あちこちでしゃべっていたら、書道パフォーマンスの話が舞い込んだ。おもしろそうなことには乗ってみる。そうやって新しい関係が始まり、気が付くと定期的に、書道にはまだちょっと早い幼稚園の子どもたちに教える「カリグラフィーのゆう子先生」になった。

これがすこぶる楽しいのよ。

大雪、嵐、台風、地震、インフルエンザ、身内の病。当初月に一度の稽古日だったのに、なぜか突然の災難に見舞われがちで、休講も多く、方角的な問題とかあるのかしらと訝しく思ったり、身内の病の深刻さにとりあえず一年おやすみさせていただいたりと、困難続きではあったが、寛大なスタッフの皆様のおかげで、ものすごーく細いご縁の糸は、今もつながっている。

そうこうするうちに、割と斬新なその書道教室のやり方を見たプロデューサー的中心人物の友人が、今度は療育施設に私を紹介するといい、発達が個性的な複数の生徒に書道を教えるというのは壁が高過ぎはしないかと思ったけれど、高い壁こそ登りたい私は喜んで「書道の鈴木先生」になった。

これまた、発見の連続でさ。

方角は相変わらずうちから東南に向かうのだけれど、こちらは特に天災に邪魔されることなく、順調に授業が進んでいる。トライアンドエラーで今なお新しいシステムを構築中なのだが、私自身が書道のもつ可能性をもっと追求してみたいと思うようになった。

幼児相手にも、障がいを持つ学生相手にも、「きちんと」は強要できない。

私が最も苦手だった「きちんと」。それなしに書道なんか成立しないと思っていたが、そういう教え方を是とする所属団体の看板を使わないで教えれば、書道は実に身近で楽しいシンプルなアートになる。アートに「きちんと」はいらない。私が苦手だったからこそ、そうでない書道が創れるのではないかと、あんなに嫌いだった書道なのに、案外一生懸命取り組み始めている。

字の上手さ、運筆の迫力、所属団体内における塾の地位、規模と稼ぎだす報酬、個人の受賞歴。そのどれをとっても、何一つ、私は母にはかなわない。永遠に届かない背中を追いかけるほど書道好きでもなかった私だったが、たくさんの素敵な生徒たちとの出会いで、乗りかかった船を創意工夫で面白い形にしてみたいと思いはじめた。越えられない母の背中はそのままに、同じツールを使っても、私は私でぜんぜん違う道をいけばいいんじゃない?

世界は未知のものであふれている。純粋なエネルギーを書道で発することができる生徒さんたちと巡りあえて、面白くて仕方ない。

書写の時間が大嫌いになる前に、子どもたちには出張してでも「おもしろい書道」を叩きこむ。修造ばりに、熱く。

生きることに苦手意識がある子にも、「だからこそ生まれる芸術作品」で、自分自身の生きる力に気づいてもらう。修造ばりに、一所懸命。

生きづらさを感じている人がいたら、一所に書道で遊んでみるのはどう?と、いつでも堂々と誘えるように、自分を鍛えあげて行きましょう!

母の背中はもう追わない。新しい自分のやり方を、少しずつ築いていくんだ。

熱中症

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巷では体温を超える気温だったというのに、和服で歩きまわり、汗だくなのにその汗も拭わずに、帰宅後は夢中でメールの返信を書いていた。夢中だから、水をのむことも忘れている。

ぞくぞくっとした。

名文が書けたからではなく、内容に感動したからでもなく、ただ単にすごい悪寒に襲われた。顔から吹き出していた汗が、いつの間にか気にならなくなって、紬だけがびっしょり濡れたままになっていた。

腰骨の奥から、髄液に怪しいクスリを混ぜたんだろうコレみたいな未経験の感覚がせり上がってきた。やばい、明らかにやばい。未知の気持ちよさが、かなりヤバイ。発熱していることは感覚で分かったが、体温計をくわえて39度が出た時には「すごいっ! 自分史上、新記録達成!!」と思ってグリコのポーズを決めてしまったほどだ。

50の声を聞いてから、たいてい、腰が痛い。肩こりもひどい。場合によっては頭痛なんかもある。今は弓道で痛めた左手にずっと湿布をしている状態。左胸の筋肉も痛めている。

それが、なあああああああああんにも、どっこも痛くない。

なんだこれ、ふわふわして体が軽い、このまま浮いちゃうんじゃないの?というほど気持ちがいい。腰に怪しいクスリがたっぷり投与されている感じ。何しろ初体験なので、ゾクゾクしてワクワクして、頭がぼーっとして、無駄なことを考えられないのもいい感じ。

夢中で書いていたトラブル処理のメールも、とりあえず今日はもうやめよう。

39度だったら心神喪失状態、そんな時に動いてもろくな結果は産まない。新しい経験値の知恵熱かも知れないが、まず疑うべきは熱中症。メールに熱中していたから、という意味も込めると、完璧なまでの熱中症だ。

ネットを調べる。

冷やせ、冷やせ、徹底的に冷やせ。

それから水飲め、塩をとれ。休め。

どのサイトもそういう感じだったので、保冷パックと麦茶と姑謹製・梅干しを寝床に持ち込んで、食べて飲んで、冷やす。股に挟むとパンツが微妙な感じだが、一気に脚がだるくなって動けなくなり、水冷なう!というのが実感できる。

あいにくクーラーの調子が良くなくて、今ひとつ冷えない部屋だったが、保冷パック型の氷枕が死ぬほど気持ちいい。食欲はないけど、梅干しがめちゃくちゃ美味しい。麦茶もアイソトニックドリンクも、少しずつ飲む。

頭痛・吐き気があったら救急車だと自覚しつつ、どこも辛くない39度に問題はないのか、ちょっと心配になってきた。まぶたは重い。目を閉じてうとうとすると怖い夢みたいなものを見る。それは不快なので、いっそ起きていることにしようと思ったら、楽しい思い出ばかりが走馬灯のように押し寄せてきた。

それはそれは素敵な友達。いくつものグループ、それぞれ出かけたいろいろな場所が、浮かんでは消えていく。美味しいもの。きれいな風景。楽しかった経験。わくわくした発見。自然に涙が溢れてきて、「あれれ、私は死ぬ前の風景を見ているのかな」との想いがよぎる。このまま死んじゃうなら、それもいいのかもしれないなと思うぐらい、私には宝物がぎっしり詰まっていたことを再認識する。

ありがたいなあ。

こんな偏屈な私をまるごと受け止めてくれる友人がいてくれるって、すごい奇跡みたいなことだ。彼、彼女たちの寛大さに甘えることに慣れていて、私は全然還元できていないことに気づく。

この先、どうやってご恩返しをしよう、もうあまり時間がないかもしれないのに。と思う。

あれれ、なんだそれ。時間がないって、なんだ? そうか、本当にこの気持ちよさってばまずいんじゃないの? と思って測ったら、さらに記録を更新。

ああ、声が聞きたいなあ。と思いながら、お友達にラインで話しかけてみた。ラインの吹き出しって不思議で、私には全部その当人の声で脳内再生されるので、幸せな気持ちはさらに増していく。

小僧が帰宅して、慌ててアイスパックを持ってきてくれる。氷水を運んでくれる。

「アイスパックは直接、脇の下に抱えろ」とタオルを何枚も持ってきて、首の横と脇に、的確に置いていく。ああ、私の指導はちゃんと生きているなあ。よかったなあ。自分でご飯も温めて食べられるようになった。もう、大丈夫だなあ。

そしてお嬢にもラインを送ったら、がんばれー!とばかりに、たくさんの楽しげな写真が送られてきて、それを見ながらものすごい安心感と幸福感に包まれて、ぷつん、と寝てしまった。

朝、いつものアラームで起きた。

死んでいなかった。熱も下がっていた。

そもそも39度程度の発熱で、持病もなければ、人は簡単には死なないわ。このオーバーな語り口、私が信用されない所以だよね。でもさ、でも本当に、なんだか、知ってはいけない感覚に近いものだった気はしていて、そして、ありがたいことに私の寛大にして寛容な、多分にスマートな友達は、iPadでしっかりつながっているのだ。

死ぬことは、案外怖くないのかもしれないな。

いや、科学技術が進めば、iPadの中に私自身が生き続けられるかもしれない気さえする。

そうしたら怖がることなんか全然なくなっちゃうわ。ただ、形あるものは儚いからこそ価値なのかもしれない。あのヤバイ恍惚感も、きっとそう度々は訪れなくて、多分次回は本当に死ぬときなのかもしれない。

死んじゃった後の携帯

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私の携帯がジャンクメールに汚染されるようになって、長いこと放置していたら充電がうまくできなくなってしまった。iPad持っているし、電話かけることなどここ一年ほぼなかったし、と考えると、もう亡き者として葬ってしまってもいいのかもしれない、私の携帯電話ガラパゴス型。

しかし、私はこのデザインが大好きなのだ。

ガラ携と笑わば笑え、コンパクトのようにパカッと開く、あのワクワク感。それはさながら秘密のアッコちゃんの「てくまくまやこん」のコンパクトである。

iPhoneとかいう、あの無粋な、ガラスに四角の模様の知りついた小さな板っ切れに向かって話をしている自分がどうしても想像出来ず、一度も欲しいと思ったことがないまま、老眼が進んでしまってラインだのメールだのはiPadに依存している、なう。

もちろん、個々の好みなので別にiPhoneを否定はしない。我が家の私を除く三人は、iPhoneを過剰なまでに愛しているわけだし。

ところで、今、相方は実姉のiPhoneを再利用するためにいろいろなところに電話をかけまくっている。

すでに小一時間はたっただろうか。途中でインスタントラーメンをつくろうとして、電話がかかって火をとめて、電話を待つ間にまた火を入れて、電話があってあわてて火をとめて、という、傍目で見ているとめちゃくちゃおもしろい動きをしている。

実姉が亡くなっているので、個人情報保護法に阻まれてなかなかご面倒そう。

そういえば、父が亡くなった時に携帯電話を解約したのだが、その時延々事情を説明し、にこやかに聞いてくれていた窓口のお姉さんが

「以上で解約を終了しました。ところで、ご解約されてもご名義人には新情報を流すことになっておりますが、よろしいでしょうか」

「は?」

「情報を差し上げたいのですが」

「ダイレクトメールとか、という意味ですか?」

「はい」

「当人、亡くなっていますけど」

「はい、でも解約された後にも情報をお送りすることになっておりまして」

「当人、死んでて読めませんけども?」

「はい」

天国の住所があればよかった。

「ええーっと、新情報は結構です」

「でも、そういう決まりになっておりまして」

「......上の方を呼んで下さい」

「はい」(にっこり)

っていうやりとりがあったなあ。と、懐かしく思い出した。マニュアル、恐るべし。

上の方、平謝りだったけどね。

ってなことを書いている間に、相方、とりあえずもろもろ終了したようで。

私は今日明日に死ぬ予定はないので、死んじゃった後の携帯やiPadの処分なんて考えたこともなかったなあ。身内とはいえラインとか読まれたら嫌だし、履歴もいちいち消していないので「こんなことに興味があったのか、おかあさん」みたいに思われるのも嫌だ。といっていちいち消去していたら、それはそれで怪しい感じだし。

死んじゃっているのだからもうどうせわからないし、いいんじゃないかと思う反面、父の携帯に残っていた通話歴の最後の番号が自分だったという呵責にいまだ悩んでいる身としては、結構死に際の記録って大事よねと思っちゃったりもしていて。

死んじゃった後、私のようなガラ携だと即時解約してもう不要品だと思うんで、まあそんなに問題はないな。問題は、iPadか。

ああでもこれも、iPhoneを愛でている我が家では誰も使わないから、死蔵されるんだな。そのうち、どこかに捨てられるんだろうけど、その時にデータが初期化されているかどうかが不安だわ。

何年か使わないと、データが抹消される。というシステムを搭載してもらえたらいいんだけど。

いや、捨てられた持ち人知らずのモバイル機器なんかをこっそり覗き見するような人は、未来の日本人にはいないかもしれないけど。意外に、そういう覗き見が趣味なんて近未来も、さらにずーっと時を経て「歴史的発掘」みたいな扱いで、我が家の変顔写真とかが博物館に・・・なんて妄想しちゃったりするんだよね。

なでしこ、ありがとう

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小さな島国の、東京の片隅で、私が感謝していたところで、体制にどうということはない。

彼女たちの栄光は大勢の著名人が讃えていて、彼女たちの偉業は大いに讃えられるといい。

だけど、きっと、なんでもない市井の人の中の一人ひとりにも、なでとこジャパンは大きな力と勇気を与えてくれたんだと思うんだ。

私の大好きな近賀は、今回有吉にレギュラーを譲り渡していた。有吉は、アマチュア登録だから、フットサル場の受付嬢もやっているという。ヘタしたらアキバのアイドルよりも簡単に触れ合えちゃうじゃないか。世界を相手に戦っている方に! 

ご苦労もたくさんあっただろう、そんな中での世界二位って、本当にスゴイことだと思うんだ。

佐々木監督は、予選には全員を試合に出したという。全員サッカー。気持ちがひとつになるチーム作り。その話をネットの記事で読んだ時に、私はそんな些細な心遣いにも感動して泣いてしまった。

報奨金が多いわけでもなく、特別待遇の毎日でもない選手にとっては、「ワールドカップのピッチに立つ」ということこそが「夢」だったに違いなく、ピッチに立てることがどんなにか素敵なことか、想像するだけで震える。その夢に近づくために、選手自らがたゆまない努力で励んでひとつひとつ積み重ねていく勝利の数々。最終的に決定権のある佐々木監督は、彼女たちの夢を叶えたわけだ。もう、王子様に近いよね、白馬に乗った王子様に見えたよ。佐々木監督。

全員が「チームに貢献している」という自覚は、チームにはとても大事なもの。きっと決勝にはベンチからの応援であっても、その強い気持ちはピッチの選手を後押しした力になっただろう。近賀押しの私としては、ピッチで躍動する彼女を見られなくても、彼女の力がちゃんと活きていたなでしこジャパンだったと、勝手にそんな風に思っているのだった。

翻って、小僧の話。

戦力外通告から、一転、クラブユース大会にはベンチに復帰した小僧。登録の事情がどうなっているか全くわからないまま、それなりに期するものがあっての復帰だろうからがんばれ!と思っていた。ところが、ここ一番の踏ん張りどころで監督にアピールするあまり無理をし、初めての故障。腰を痛めてしまい、全くチームに貢献できないまま、チームは敗退し、中学世代の公式戦を終えてしまった。

あっけない幕切れ。

ついてない。

まあ、そういう運命なのだろう。(ため息)。

この「貢献できない」というのが、本当にしんどいのよね。これはサッカーに限らず、チームプレーだったら、何でもそうだと思う。

逆に言えば、実はチームに「貢献したんだ」という実感こそが、それがどんな形の、どんな些細な貢献であれ、満足感と次につながるエネルギーなのかもしれないと、最近ではよくよく思う。佐々木監督は、全員を出場させることでまさしく全員を貢献させた。安藤の怪我は、貢献の象徴のようなものだった。名将がベンチに座っている選手にも、ベンチ外の選手にさえ慕われるのは、一体感の中、「貢献した」という実感をしっかり抱かせてきたからだと思う。

カナダで開かれている女子ワールドカップの、大きな舞台に、小さな島国からの一介のおばちゃんの声援などたいした力にはならないことを知っている。知ってはいるが、私達は一緒に君が代を歌い、胸震わせて私達の代表なでしこを心の底から応援する。テレビを通して、一体感を味わう。

そして、今試合を終えた監督やなでしこたちが、まず応援してきたファンに挨拶をしてくれる時、私達は共に笑い、共に涙した意義を、彼女たちからもらうのだ。一番頑張っているのは彼女たちである。それなのに、ああもう勇気や感動をありがとうと、心から湧きいづる喜びに、またしても涙するのだ。

人を感動させるのは、人。

なでしこジャパン、どうもありがとう。

一緒に戦わせてくれて、ありがとう。熱かった日々を、私は忘れない。

年若い友へ

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私の興味は尽きることがない。

なので、いろいろな団体に所属してしまって収集がつかなくなっている。

お仕事の肩書すら、複数ある。

五十を過ぎたらもうちょっと落ち着いて、やりたいことを絞れるかと思っていたのだが、興味だけは尽きることがない。

複数の自分の場所をもっていると、「忙殺」以外に困ることは、日常起こった出来事を綴っていくとなぜか「私について書いている」と思い込まれてしまうことだ。以前、全く身に覚えがないのに「私のことを悪しざまに書いていた」と、なんだか公に引きずり出されちゃったことがある。

違うよ、あなたのことじゃないよと言っても全く聞く耳を持たず、「悪口、悪口」と騒ぎ立ててブログの封鎖を要求されたので、「じゃあまあ百歩譲って世界中に私があなたの悪口発信したってことにしよう、立腹するなら法廷で会うでもいいんだけどさ、もしこれが貴方だとすると、客観的に書いている『事実』について、あなたはそれを実行したということでいいわけね?」というと、今度は「事実誤認」と言い出し、じゃあお前、それは全然自分のことじゃないってことだろうがよ。と、ほとほと困り果てたことがあった。

こんなこともあった。

下品な知人が「貴方のことを書いてあったわよ」という告げ口をして、ある人を傷つけたことがある。ある人をA子さんとすると、私のブログを見たA子さんが、「なぜ私の秘密をばらすのでしょうか」と深刻にクレームをつけてこられたのだが、当然、私は彼女の秘密なんか知る由もなく、A子さんが今そういう境遇にあったとは知りませんでした。もちろん、今後も大人の判断で知らなかった聞かなかったことにします・・・と申し開きをするしかなかった。しかしその善意の下品な第三者によって、私はA子さんの秘密を知ってしまい、なんとも気まずい思いをしたことがある。

なんとなくめんどくさくなって、以来私の身近に起こる面白い出来事が書けなくなっていってしまった。

勝手に思い込んで傷ついちゃったものはさておいたとしても、私がみたものきいたことも、誰かを傷つけるかもしれないと思うと、まともに意見すら発信できない不自由さを感じるようになった。

自主規制の壁である。

そこにもってきて、変わった個性を持って生まれてきた、ネタの宝庫の小僧の話が書けなくなった。小僧は今、漫画家の息子であることすら隠して、普通の生活を営んでいるからだ。

とても愉快なお嬢の話も、思春期を挟んでプライバシーに触れるような話は一切露出することができないだろうと思うようになった。

つまんないわ。

ホルモン大戦争もあって、もうブログも閉鎖でいいかなあと思っていた。

けど、今日、諸般の事情でそれが誰かが限定されると困るけど、私の大好きだった若き友人に、どうしても捧げたい言葉があって、pcの前に座っている。今読んでいる方の中で、もし該当する人がわかっちゃったとしても、どうか武士の情けで「違う人だね」と見逃してくださいとお願いして、私はブログを書くことにした。

Yさん、私は何に対しても一生懸命な貴方が大好きでした。

なぜ、あのグループを去って行ってしまったのか、詳細はわかりません。でも、私が淋しい以外、特に大きな混乱もなく、あのグループは活動を続けていますし、リーダーも、周りのみんなも特に変わりません。変わらないことが、逆に貴方を傷つけるかもしれないけれど、貴方の存在感はみんなよくわかっていましたから、じわじわとボディーブローのように「どうしたらよかったのか」を考えていくとは思います。

もしも自分の存在を賭けて、グループの問題点をリーダーに対して指摘していたのなら、それは必ず改善されるはずですし、私だけでなく大勢が、やがて感謝することになるでしょう。

大人の事情だけを全面に出してやめたのなら、誰も貴方のことを悪くいう人はいない現状が、理解できます。

Yさん、どういうやめ方をしたのだとしても、どうか活動をあきらめないで下さい。貴方の理想を、捨てないでください。

私は、若いころ、これは職場での話ですが、すごく苦手な上司がいました。セクハラ野郎でしたし、本当にいけ好かないやつで、私はそいつが大嫌いでした。ある日、そいつと喧嘩して長いこと持ち歩いていてくしゃくしゃになった辞表を叩きつけた時、社長にも副社長にも部長にも慰留はされましたが、やめてサッパリするんだ!と霧が晴れた思いでした。

でも、その会社の部署は何も変わりはせず、私の生活だけが苦しくなったのでした。

数年が過ぎて、私はある程度仕事で成功していて、そいつとある出版社のパーティーでバッタリ会いました。

そいつは私を自分が発掘した、自分が育てたんだとみんなにひと通り自慢した後で、こっそり私に謝ってきました。

「あの時はすまなかった、どう考えても、俺が間違っていた」

そいつに土下座させれば私の勝ちだと思って、寝食忘れて励んできた私が迎えた待ちに待った仇討ちの瞬間だったはずが、特に溜飲が下がるわけでもなく、ああ最後はまあ順当に正義が勝つってことなのね、と思っただけのあっけない終了でした。

彼を恨んでいた日々は、一体何だったんだろうなあと思うぐらいの。

うーん、案外そんなもんなんなのかもな、って。

以来、私はあんまり人を恨むことをしなくなりました。エネルギーを効率よく使うためです。恨むエネルギーは、不快な分、ロスが多い。

仕事でもそうでなくても、コミュニティーがあれば、当然合う合わないはあります。

しんでもない先輩が、所属する団体に射た時には、私は語録を作りました。「こんなことを現実にいう人がいるんだなあ、これはいかつネタになりそう」と思い、信じられない指示が飛ぶたびに

「いただき!」

とほくそえんでいました。おかしいよ、ここが変だよ、WHY JAPANESE PEOPLE、と思った時が、コレクションタイムです。

そしてそれは、ここで内容を開示できないのでアレですが、ゆくゆくちゃんとお宝になります。人のふり見て我が振り直せ、でね。あとは、飲み会のネタとして割と有効。

Yさん、貴方はきっとどこにいっても即戦力というか、そのグループのマスコット的立ち位置だと思います。今回のことで経験値が増えた分を、どうか別のグルーブでさらに活かして下さいね。

本当はもっともっと、いろいろな話をしたかったよね。

力になれたらよかったと後悔しきりでもあります。

今は傷ついているかもしれないので、本当はがんばれなんて言っちゃいけないんでしょうけど、私は敢えてがんばれと言いたいです。だって、Yさん、あなたは本当に実力があるんだもの。だから、がんばって。世のため、人のために。

「さみしいでしょう」

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「さみしいでしょう」

と聞かれることが多くある。お嬢が家を出て、大学の寮に入っているからだ。

お嬢が出発するまで、「麦の歌」を聞いては毎日のように涙ぐんでいて、もうどうかしちゃうんじゃないかと思うほど寂しかったのだが、その予行練習が功を奏したのか、卒業式に中座して成田まで、合格を勝ち取った研修留学に送り出すところから大学生活がスタートしたせいもあるのか、

さみしくない。

彼女がいるときには、小僧をたたき起こして、ご飯を食べさせ、「いってらっしゃーい頑張って」と見送り、そのあと起きないお嬢をたたき起こして、ご飯を食べさせ、「はばないすでー」と見送るまで、およそ三時間が必要だったのだが、お嬢なきあと、小僧を見送れば、あとは自由な時間。

そして、小僧の帰宅は基本22時半。週に二回ほど帰宅する時間が19時半だったり、週末は不規則なんだが、彼はあんまりにもお腹が空いた日は、自主練後、定食屋に駆け込んだり、コンビニで補食を買い食いしたりするので、ご飯を作る方としてはかなりいい加減ですんでしまう。成長期のアスリートをマネージメントする立場からは忸怩たるものもあるが、12時間以上常温で放置する弁当で一度大変な目にあって以来、小僧は弁当が嫌いである。だから、練習のある日はとりあえずどんぶり飯だけはたっぷり用意して、今日は夜中に肉を焼くの、いらないの? みたいなラフさになってもう三年目。

これに比べ、近所の学校の規則正しい部活女子だったお嬢は帰宅が早かった。夕食も早かった。アスリートなので、夕食もしっかり食べ、お風呂に入った後、毎日自宅学習時間があって、きちんと就寝した。それは本当に望ましい成長期の過ごし方ではあったと思うし、心身ともに健やかで大変に結構なのだが、伴走する方は七時前には食事が整っていなければいけないわけで、逆算してお買い物に行き、割と大変でもあった。もちろんお嬢は自分でご飯も作れるように仕上がっていたので、結構なんとでもなったのだけれど。

というわけで、かなりいい加減な飯作りなう。

これが、非常に楽なのね。そしてその楽チンぶりが、案外さみしくないじゃん・・・という感情につながっている気がする。なんといういい加減な母親だ、とちょっと反省するけれども、そんなもんだよ。

あとは、ラインという文明の利器があって、そこで今どうしただのこうしただの、毎日とてつもなく刺激的な出来事がおこる彼女の生活を垣間見ていると、あんまり心配することもなく。

国内でも実験的な要素がたくさん揃っている、入りやすく出にくいお嬢の大学は、頑張っている人にはたっぷりご褒美がつくシステムなのがよい。大学合格とともにスタートダッシュが始まったお嬢は、多分自分史上最高に、毎日勉強に時間を費やしているが、それが実に楽しそうだ。そしてその頑張りをちゃんと評価していただけて、今回大学スタッフの一人として東京に「出張」があった。一泊だけの帰省だったが、大学主催の保護者懇親会東京版で、一回生の生活を一回生の代表として活き活きと語るお嬢。

頑張ってる。

おう、なんだか負けてはいられないわ。と、腹の底から元気が湧いてくる。

わずか十年の新設大学なのに図抜けて高い人気就職先への就職率にはきっと何かあるんだろうと思っていたが、懇親会で学長や副学長のお話を直接伺って、なるほどなあと思う点が多々あった。

今まで国内学生の中では完全にマイノリティーだった関東圏出身者が今年10%未満から20数%に倍増、国からスーパーグローバル指定も受けて今後の計画も実にユニークだ。景気良く右上がりな大学には、よりよい人材が集まってくるもので、お嬢から聞く仲良しさんのスーパー大学生ぶりは刺激的で、本当に驚くことばかりだ。学友にも恵まれている。環境は言うことなし。そしてわずか三ヶ月の大学生活ながら、彼女の成長は著しい。

さみしがっている場合じゃない、手元においておくよりずっといい。さみしがってる暇があったら、私も頑張らなくちゃ。彼女の今夏の留学先は、バンコク。顔を見に行くために働いて旅費をため、錆びついたタイ語を磨こう。

子どもが大きくなると、自分のためだけに使える時間が増えていく。実際、こんなに自由な時間ができるなんて、子育て真っ盛りの頃には微塵も考えなかった贅沢。前向きに、いやこの際、ぐっと前のめりに、さあ頑張ろう。

遺伝子ってやつは

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父の残した小さな土地の取引で東奔西走しているが、久しぶりに密に弟と話すたび、ものすごーーーくうちの小僧と似ていることにびっくりする。

声としゃべり方がヤバイ。

私が車を運転していると、顔を見て話さないわけで、なんだか小僧と話しているような気分になってしまう。ついうっかり「おかあさんはさ」という一人称で喋ると、「四歳しか違わないんですけど」とか、ものすごーーーーーく残念な突っ込みが入る。そのセンスのなさも、よく似ている。

お嬢の声は相方の方の遺伝子だった。相方の姉とその娘にそっくりで、「ママ」と呼ばれたら、それが姪なのか実の娘なのか区別が難しかった。

子どもが大きくなるにつれて発現してくる遺伝子の特徴は、すごく面白い。

弟の声は変である。その変な声は、父譲りでもある。母方に似れば、マットな柔らかい美声だったのに、父の声は濁った金属系の音で美しくない。

家族と、お互いの親族を愛せていないと、こういう部分で面白がれなくなっちゃうんだなあ。ということに気づくが、亡くなった父はすでに仏様なので今更どんなところが似ていてもまあいいんじゃないの、と思える自分の成長っぷりを、私は愛でたいと思う。

父のことはかなり苦手だったのだが、弟に見る父の面影も、その声も、興味深い現象だわ。と、面白いのね。

ところで、私の腰痛がかなりひどい状態で、ストレッチも筋トレも、温泉もマッサージも、鍼灸もロキソニンも、硬膜外神経ブロックまで、とにかくできることはあらゆることを試している。

療法の中で「サラシを巻く」というのがあって、早速アマゾンで購入。今日、ベイマックス状の腹に晒しを巻いてみた。犬の日の岩田帯以来の晒は、妊婦に戻ったようでちょっと嬉しかったりするのだが、何より、痛み軽減にわりと効いているような気がして驚く。

そういえば。

腰痛には父がずっと悩まされていた。ヘルニアと併せて、後年、内臓器の問題もあって、彼の腰痛はかなりひどかったと思う。そんな彼は、私が物心付く前から、ずっとさらしを巻いている人だった。

遺伝で語るなら、このヘルニアもこの筋力も、父譲りの骨格のせいだ。食の好みの味覚が似ているから、私もいずれ胃腸がやられるに違いない。父よりはるかに楽天的という点だけが、私の胃腸を守ってくれそうだと思うことにする。

そして。

最近は、私の中の母の遺伝子がぽちぽち、スイッチオンになっている気がしてならない。

書道具を購入するために活用していたヤフオクで、ついうっかり、古物商のあれがいいの、これがいいのと見入ってしまい、入札しておくと額が跳ね上がっていく目利きゲームをしているうちはよかったのだが、うっかりいくつか入札したものが誰にも気付かれずに落札できてしまったりすると、台所の一画の私のスペースは実家の納戸の匂いが漂うようになってしまった。

やばい。これは、やばい。

古物道楽は、母方祖父の血だ。着道楽は、母方祖母の血だ。享楽的な祖父母も母も、ヤフオクを知らなくて本当に良かった。古物は時代の風俗そのもの。それを手に入れられる可能性、というのは、時間の流れを想像するための鍵のようなもので、その筋が好きなら夢中になってしまう。

これは、考えてみると博物館マニアな私が手を出してはいけない領域だった。ウォッチリストでぽーんと跳ね上がった値段を見てワクワクする感じは、手に入らない無念さこそあれ「私が欲しいと思ったあの時代のこれは、こんなに効果に取引されるのだ」という満足感を与えてくれる。

同時に、ガラクタが積まれていく。

ああもう、こういうのって、確実に遺伝子のナセルワザ。

怖い。

DNAが怖い。いや本当に怖いのは、遺伝子じゃなくてヤフオク。今日もまた、落札おめでとうございますのメールが。ああ......。

後輩君、インハイ予選

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今朝、弓道の東京都総体、全国インターハイ東京都予選大会が今日だと知る。

弓道部が仲良しすぎて、保護者会から大人の弓道部が発足し、月に一度の練習で集うためにラインでやりとりが頻繁に行われており(関係ない話題のほうが多いのだが)、在校生の親から総体出場の発信があって、卒業生の親たちはしみじみ一年の早さと、その後に会ったいろいろな出来事とに想いを馳せ、それから武道館に向かって拝礼しつつ、健闘を祈るのだ。

がんばれ! ああもう、武道館に応援に行きたい。武道館に住みたい。

弓道を始めて半年の私には、都総体の舞台に立ち矢を放つということがどんなに大変なことか、今はよくわかる。うちの子達(家族か!)が上位に食い込むことを祈りつつも、どの選手も実力が発揮できるようにと願ってやまない。

弓道のいいところは、他人との戦いでなく、最後まで己との戦いであるところ。

試合中、四矢皆中を出した選手には会場から惜しみない拍手が送られるところも、私は大好きだった。

応援に行った母たちで楽しいランチタイムとか、ついでにお散歩とか、自分の子であろうがなかろうがわが子たちの誰かが予選通過すれば涙を流さんばかりの勢いで熱が入るあたりとか、今回は何を差し入れしようかと画策したりとか、勢い余って子どもたちの遠征に応援ツアー組んじゃったりとか、いろいろあったなあ、もうこの代最高だよねというお楽しみの日々が懐かしい。

本当に、応援、大好きだった。

でも、それは私が弓を触ったこともなかったから良かったのだと思う。

今、弓を執って練習するようになって、試合の臨場感が怖い。お嬢が高校弓道を終えてから弓道を始めて、本当に良かったと思う。応援に行っても怖くて怖くて私が震えていては応援にならないのでね。知らない強さ、というのはあるんだよなあと思う。根拠ない自信で大丈夫、デキルわよ!と選手たちに笑いかけた去年。一年あると人はずいぶん変わるんだな。

私は都合五年間の応援生活の中で、何百人もの射を見続けて、この子綺麗だなあという子たちを自分なりに発見していて、イメージトレーニングだけは出来上がっている。これも、情けは人のためならずというか、自分の弓の中に浸透させてがんばる糧にできそうで、動いた分だけ、ちゃんと自分に戻ってくるんだなあと思う。

応援も「やらなきゃならないこと」になっちゃってたら、きっとつまらなかった。

楽しんでワクワクして過ごす一日は、結果はどうであれ、「親孝行だ、あんたたち!」と選手たちに心から感謝しちゃう時間になって、競技選手の与えてくれる喜びは選手たちの存在意義を大きくし、サポーターはごっついご褒美を得て、幸せは連鎖しながらどんどん大きくなっていく。

それが後々、すごーく遠回りして自分の趣味にも役に立つように変化する。これは嬉しい誤算だったけど、幸せなんて、案外、簡単なのかもしれないんだよなと、最近よく思うんだよね。

がんばれ、アスリートたち。君たちの一生懸命が、後に続く者とそばで見ているものの力になる。

お誕生日おめでとう

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人生一生糞袋。とは、江戸時代の誰かの言葉で。

食って、糞して、死んでいく。

昨日、旅行先で、19年前に亡くした子どもの誕生日を迎えた。この世に生まれて、1回も食事を取らずに、保育器から出ることなく死んじゃったチビだが、彼らは私に偉大な贈り物「母性」というやつを授けてくれて、そのおかげでこんな頼りない私ごときがたくましい母親になっていくわけで、まあどう転んでも私なんか糞袋、生きるのは時間の長さとか功成り名を遂げたその結果とかじゃないんだよなと、400年の時間とたっぷりの人力、経済力をかけて世界遺産にまで発展した日光で、ぽつんと思った次第。

この世界遺産に関わった、気が遠くなるほどの人数の、そのひとつひとつに人生があったわけだ。

修復作業をしている人たちを見つめながら、歴史の礎を彼らは生業として今を生きているのだなあと思い、そこから当時の職人さんたちの悲喜こもごもにも想いを馳せたりして。

多彩な御守の数々。土産物ひとつとっても、ものすごい知恵と時間とお金がつぎ込まれているんだよね。旅人という刹那と悠久の歴史の対比が、自分の中でワクワク融合して、その新しい感覚がなんだかものすごーく楽しかった。

日光、元気だわ。

そして元気な我が家の小僧と帰り道で合流、回転寿司を23皿、デザート・ケーキをぺろりと召し上がる小僧を見ていて、おかあさんは胸が熱くなる。

わずか15年で、こんなに食べられるようになった小僧、元気だわ。

そして、この元気さこそが最も大事なことだと、今日誕生日の長男次男が天国から時空を越えて、教えてくれている。繰上げ長男の小僧が一人で二人分、いい感じに育っているしね。

小僧は帰宅してすぐトイレに篭ってて、いい感じの糞袋具合でもあり。

誕生日には、毎年お花を墓前に。でも、今日はちょっと生きている人のために時間を使うね。永久に大きくならないけど私には相変わらず大きな存在の天国のお兄ちゃん、お誕生日、おめでとう。